Sebasute

Aras-asan
JICA専門家の依頼で食品加工の基礎的な講義をしました。彼女らは3ヶ月後に私の任地カルレスを訪れ、ナタデココの作り方を習いました。
当時のアンティケ州の道路は舗装されていなく、苦労してセバステマまで行った記憶があります。日本への輸出などでナタデココには良い思い出がありませんが、日本で見かけなくなるにつれ記憶も薄まっています。