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ローマ‐ハンニバルの足跡 [旅行-イタリア]

しばらく書き込まなかったですが、一時帰国を1週間していました。AZ867便で06:00にチュニスを発ち、07:30にローマに着きました。ローマ発は21:50だったのでローマに12時間以上いることができ市内観光をしました。今回の目的は紀元前200年頃にハンニバルがローマ市街まで行った足取りを追ってみました。
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塩野七生のハンニバル戦記(中)には4.5km離れた宿営地からラティーナ街道を途中でそれてコリーナ(コッリーナ)門まで、城壁沿いに視察したと書いてあります。この城壁はセルウィウスの城壁と言って、今の城壁の内側にあり調べるのに苦労しました。線が4.5kmです。おそらく宿泊地は右下のCirolo del Golf di Roma 辺りでしょう。
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今の城壁内のVia Latina(ラティーナ街道)です。石畳の上にアスファルトが施されているし城壁外は近代的な住宅街なので、後日紹介するVia Appia(アッピア街道)より、趣がありませんでした。
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カラカラ浴場近くのラティーナ街道とアッピア街道の合流地点です。ここら辺の城壁は凹んでいたと思われるので、ここから右に向ったと思います。
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FAOの前でCapena門があったところです。ハンニバルはこの門は見ていないと思いますが、アッピア街道の基点で先ほどの道を直進するとあります。
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Celioの丘の上のCaelimontana門がここら辺にあったと思われます。ハンイバルは丘の上を横切らなかったかもしれません。
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Querquetulana門がちょうど人が写っている辺りにあったことでしょう。ハンニバルの時代にはコロッセオが建設されていないので、こんな景色でなかったでしょう。
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Esquiliana門跡近くの公園に遺跡がありましたが、建築様式からして後年のものだと思います。この地区は中華街になっていて漢字の表記や中国人が多かったです。
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テルミニ駅を出ると直ぐにセルウィウスの城壁を見ることができます。この時代の石組みはレンガのものでなく大きい石を積んでいたことが分かりました。写真の手前にViminalis門跡らしき石組がありました。
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大蔵省の角にあったCollina門跡です。ハンニバルはここまで来て帰って行ったそうです。手前の道はVia Nomentana(ノーメンターナ街道)右の道が塩の道と言われるVIa Salaria(サラリア街道)です。

私はテルミニ駅からコッリーナ門まで戻ってハンニバルと逆方向をラッティーナ街道とアッピア街道の合流地点まで歩きました。地図を見ながら1時間45分で歩けました。ハンイバルは馬に乗っていたので、ローマには1時間もいなかったと思われます。この跡チュニジアに戻って二度と見ることがなかったハンイバルに、ローマはどのように写ったことでしょう。
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yukitan

わぁ~大好きなローマ。
カラカラ浴場も昔行ったきりです。
アッピア街道も車窓からは何度も見ましたが歩いてみたいです。
チュニジア、あと少しですね。
by yukitan (2008-09-17 22:51) 

GAKI

始めてのローマなので歩き続け、遺跡は外側からしか見ていません。カラカラ浴場の前からアッピア街道を歩くと、城壁を越えた先のマイルストーンまで1km位でしょうか。水も出ているし日陰が多いので夏でも歩けると思います。閑散とした良い道です。
帰国後2年半は日本にいることになりました。

by GAKI (2008-09-18 18:08) 

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