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欧米の旅-旅行後記 [旅行-フランス]

先日、ガソリンを入れたらリッター当たり0.07DT上がって1.32DTでした。2007年1月は1.05DTなので日本のガソリン上昇率より緩やかです。ニューヨークはほろ酔いの頭でガロンからリッターにして計算したら日本と同じ上昇率でした。でも、100円/L位ですが・・・。

2008年6月7日から16日までの旅は駆け足で過ぎたようです。ニューヨークやパリにあこがれる人が多い気持ちが理解できます。日本発でニューヨークに行ってからパリに行き日本に帰ると世界一周になりますね。こんな行程はもうできないかもしれません。
出発前に書いたのですが、電車の時刻表が分かったのでハードなスケジュールを組むことができました。ただ、ブログを読んで分かるようにニューヨークもパリも電車が遅れたり不通になります。ニューヨーク⇔ボストン間の350kmの場合は高速電車と普通車で20分の差しかありません。普通電車のダイヤの組み方に無理があるような気がします。日本が正確すぎるのでしょうか?

小学生の頃の給食に出てきたクジラの竜田揚げは硬くていまいちでしたがクジラのコンビーフは好きでした。愛くるしいザトウクジラを見ていると商業捕鯨をどうすればいいのでしょう。人間が管理するのがいいのか分かりませんが、自然のバランスが大切だと思います。

高斎正さんの「ニッサンがルマンを制覇する時」を高校生の時に読んでからずっとルマンにあこがれていました。帰国したらこの本をもう一回読み直してみます。80年代中頃から90年代中頃までマツダの他にニッサン、トヨタやホンダのワークスが出てテレビ中継をしていましたが、近頃は放送が無いようです。学生も話題となりますがワークスでないとスポンサーが付かないのですね。パリの親戚はルマンの放送を見ていたようです。しかしフランスでもサッカーが一番人気と言っていました。表彰台の下で私が写っていないですかね??ヨーロッパ各国から着た応援団にとって、ルマンは24時間でなくお祭りを含めた120時間なのだと感じました。
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欧米の旅-パリ2 [旅行-フランス]

気が付けば、早いもので今回の旅行から1ヶ月が過ぎていたのですね。昨日、同期のシニアボランティアの方が任期を2ヶ月半残して任期短縮で帰国しました。これで同期は13名から8名に減り、同じ仕事先の人だったので寂しくなりました。人生を重ねるにつれて帰国理由も増えるようです。
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さて、今回の旅の最終日となりました。この日のためにJICAの駒ヶ根訓練所でお世話になったフランス語の先生からパリの美術館の話を聞いていたのですが、のんびりしたくて親戚の家から近いサン・ジェルマン・アン・レーのお城を見ることにしました。地球の歩き方にはルイ14世の生誕地と書いてあります。写真の右側にバス停があり、いつもここからバスを乗るだけで通り過ぎていました。
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親戚の娘さんが一枚目の写真の時計の下から入ると、国立考古学博物館があると教えてくれました。そして、今年から入館料が無料になったと言っていました。館内は青銅器や人骨などが展示さていたのですが、フランス語の説明なのでよく分かりません。チュニジアではローマ時代の遺跡に転がっているようなものでも仰々しく飾ってあります。そして順路を回ったらこのお城の中庭へ。写真の左奥に次の展示室の入り口がありました。
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一枚目の写真の奥に見晴台があります。写真はセーヌ川に架かるRERの鉄橋と思います。この辺りを印象派の人たちは好んでスケッチしたそうです。親戚宅には近所を描いたシスレーの絵がありました。
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写真では分かり辛いですがテラスからエッフェル塔や、高層ビル街のラ・デファンスが見ることができます。パリ市内ではビルの高さ制限があり、郊外にパリのウォール街を作ったと親戚の娘さんが言っていました。
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広い公園には考古学博物館を見学し終えた小学生たちがお昼を食べていました。これが終わったら夏休みになるのでしょうか?
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バックパックを取りに親戚宅に戻って、親戚と娘さんと3人で車に乗ってサン・ジェルマン・アン・レーの駅まで。途中、三銃士を書いたアレクサンドル・デュマの大邸宅の前を過ぎました。中を見学するには正面でなく脇道の駐車場から入るそうです。彼は浪費家だったそうですが、フランス料理の向上に貢献したと言っていました。この写真の説明です。チュニジアの信号機はフランスのをまねたそうで、停止線の直ぐ横にあります。親戚の記憶にないくらい昔からこのタイプの信号だそうです。しかし、チュニジアでは写真のような補助灯が下に付いていないので信号が良く見えません。仮に補助灯が有ったとしても、こちらでは信号無視をしたり停止線をオーバーして止まって役に立たないかもしれませんけど・・・。

サン・ジェルマン・アン・レーの駅でシャルル・ド・ゴールまで一枚と言ったら、何か言い返されたので空港の別名ロワッシーと付け加えました。料金は11.2ユーロでした。パリから空港まではゾーン1-5で8.2ユーロ、サンジェルマン・アン・レーからパリはゾーン1-4で3.5ユーロなので、通しで買っても0.5ユーロしか安くなりません。3人でパリに向った理由は、彼女たちのパスポート更新のためでした。親戚の娘さんは20歳で、日本では2重国籍を認めておらず22歳までにフランスか日本の国籍を選ばないといけないそうです。日本はこれから少子化で若者が少なくなるのだから2重国籍を認めて活性化をすればいいのにと言っていました。数年後には法律改正があるかもしれません。そんな話をしながら、証明写真を写さなければとシャルル・ド・ゴール・エトワールで分かれました。駅員が何か言った理由が分かりました。

私はそのまま乗ってレ・アールでRERのB線に乗り換えです。電車を待っている客はいるのですがB線の電光掲示板が消えています。しばらくして放送があり、乗客がいなくなりました。これはバスで空港まで行かなくてはと思ったのですが、駅のインフォーメーションを見つけ英語で聞いたら、RERのD線に乗って北駅で乗り換えろと。北駅で荷物を持っている人の後ろについていったらTGVの駅で大失敗。また、同じチケットでRERに入れたのでフランス軍の警備の若者に聞きました。フランス語しか話さないので苦戦しましたが真直ぐに行って32番線を上がれと言われ出発1時間前に空港に着きました。タンザニアに行く時はタクシーで行ったのですが、RERを使うなら2時間前に着くような予定を進めます。
前回の空港まで→http://gaki.blog.so-net.ne.jp/archive/20070406
空港で自動チェックインをしたら3列の中央席しか空いていません。どうせなので最後尾の座席を指定しました。飛行機は16:10発のAF1284でしたが、出発は遅れて17時頃でした。飛行機の私の席にまたまた他の人が座っています。今回は彼らの席に他の人が座っていたのが原因でした。隣の人はチュニジア人でしたが普通のパスポートで無く反対側の席にチュニジア人為見せていました。スチュワーデスも良く話しかけていたので特別な人のようでした。入国審査をパスしたので、不法滞在の人たちを連れて帰るところだったのでしょう。連れ戻される間にいた2名は悪びれた感じが見受けられませんでした。チュニスに19時頃着いて、免税店でワインとビールを買って帰りました。チュニスは10日間で気温が7度上がり35度になっていました。


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欧米の旅-ルマン2 [旅行-フランス]

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多分ガールスカウトの人たちと思いますが、夜中にビールの空き瓶を掃除してくれていました。地元の人たちがルマンを盛り上げようとしている気持ちは、こんなところにも伝わってきます。Antaresの駅を確認しようとして、2:30頃メインスタンドを通ってダンロップブリッジへ。そこから駅に行く道を探したのですが見覚えのない道ばかりでした。とりあえず、Antares駅の方向を警備員の人に聞きながらダンロップブリッジから外に出ました。しばらく歩くと一つ前の駅(Guetteloup-Pole Sante Sud)に出てしまいました。線路は途中でトンネルがあり線路伝いに行けないので、そしてそこからまた聞きながらAntares駅へ。後で分かったのですが、来る時はトンネルをいくつか通ってサーキットの内側のダンロップブリッジに出ていたのです。ここに戻ったのが3:45位で、ビニールシートを敷いて寝ることにしました。エンジン音を聞きながら睡眠に入ったのですが、4時30頃顔に雨がプツプツと当たって目が覚めました。5時頃まで雨宿りをしながらレースを見て飽きたので、フォンテーヌブローへ一緒に行った学生さんを迎えにGare(フランス語で駅)まで行くことにしました。ルマン駅に6時についてそのままベンチで仮眠し、9:13着の普通列車でやって来る学生さんを待っていました。
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学生さんは入り口で日曜日だけのチケット40ユーロを買って入場。10時少し前にダンロップブリッジ脇のコースで日本車を確認、11番童夢OK、24番寺田さんのチームOK、22番の東海大学が来ない!急いで童夢と隣り合わせの東海大学のピットへ。パドックの中に車がありません、そしてメインスタンド側には心配そうに覗いている東海大学の関係者らしき人たち。しばらくしたらパドックでミーティングをした後、学生の代表の方がスタンド側に挨拶をしてシャッターを下ろしました。私も残念でした。学生スタッフは記念にピット上の看板を外そうとしていましたが、難しいらしくあきらめたようでした。他のチームは枠ごとでなく、表面だけ外していたようです。この写真は童夢の車が、どこかにぶつかってフロントを修理しようとしている写真です。日本人の女性の方々も近くに座って応援していました。11時頃から14時過ぎまでパドックの中で修理をして心配したのですが、結果を見たらLMP1クラス最下位で完走していました。寺田さんのチームは後半快調に周回していたのですが、規定周回数に達せず完走扱いになりませんでした。
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レールは24時間後まで僅差でした。優勝はデンマーク人が運転していた2番のアウディー、2位は4分31秒差と3位は2週差のプジョーでした。今回の旅の目的の一つはルマンの表彰式で、シャンパンファイトのおこぼれを飲むことでした。表彰式ではサーキットの中に入れることを知っていたので、ゴールを見ることをあきらめ14:10頃入り口を探しました。14:40前なら人も多くないので扉の前に陣取れます。学生さんとはお互いに見失ったらこの場所で会うことを確認して扉が開くのを待ちました。15:10扉が開き私はバックパックを担ぎながらダッシュ、学生さんは先に行っていたのですがセンターウォールを越えることができず苦労したそうです。そして表彰台下ではお互いに会うことができませんでしたが、二人とも目的を達成できました。
シャンパンファイトの写真→ http://gaki.blog.so-net.ne.jp/archive/20080617 
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私は帰りの混雑を心配したので総合優勝の表彰式だけ見て、人ごみの中から抜け出しました。姿が見えないので少し心配していたのですが、学生さんとも再会でき帰路に着くことにしました。
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この写真はサーキット内に入るヒントです。シャンパンファイトを浴びたければ、この壁を越えなければならないので走力に筋力、そして入り口を見つける感が必要です。Bon courage!
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ピット裏の道路ではリタイヤした車の輸送が行われていました。この車はドイツの登録ですがマツダエンジンを積み、日本人のドライバーもいました。車に触ってるところを学生さんが写してくれました。

Antares駅の方面へ向う人は多くありません。電車も待たずに乗れましたがGuetteloup-Pole Sante Sud駅からは満員になりました。同じ電車には昨晩、掃除をしてくれた人たちと同じユニホームを着ているボーイスカートらしき人がいました。ルマンの駅前のバーでビールを飲んで、17:30頃普通列車に乗る学生さんを見送りました。私は戻って別のバーでもう1杯。フランスも発泡ビール酒のようなのがあるのか薦められたビールは値段が安かったです。いい気分になり値段は忘れました。ルマン18:19発のTGVに乗って、トイレに行ってから指定席に着いたら、また女性が座っていました。1等車で45ユーロだったのですが、2等車と料金の差が大きくなかったと親戚が言っていました。フランス人は指定席を気にしないのでしょうか??TGVは19:15にモンパルナス駅に着、ちなみに学生さんの普通電車は20時頃着と思いました。普通車でルマンの往復は学割で33ユーロ位だったと思います。

21時過ぎに親戚宅着。夕焼けを見ながら夕食を食べました。今日のメインはチュニジアで豚肉が食べられないと気を使ってくれ、ソーセージ用のひき肉をトマトに詰めてグリルしたものでした。最後に娘さんが、新潟のおばあちゃんの家に行くと、食後の後にチーズが出ないから物足りないと言っていました。日本人の漬物以上にフランス人はチーズが必要なようです。娘さんは夏休みを利用して正しい日本語を勉強するため、東京のレストランでアルバイトをしていると思います。

パリ2へ続く

24h du Mans 2021


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欧米の旅-ルマン1 [旅行-フランス]

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朝の散歩をしてからレンヌを11:05発のTGVでルマンへ向いました。料金は前割りで18.9ユーロでした。駅には昨日、同じバスで帰ってきた人たちがいたのでレンヌで宿泊したのですね。でも、ルマンで降りる人は見かけませんでした。ルマンは12:25着でした、パリ→レンヌが123分、ルマン→パリが56分なので85分は各駅停車だたのでしょうか?
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ルマンの駅前は人があまりいませんでした。無料シャトルバスがあるとネットに書いたあったのですが、駅を出て右手に新しく電車(SETRAM)ができていました。料金は1回1.25ユーロなのですが明朝学生さんを駅に迎えに行くの入れると6回使うし切符待ちをするのがいやだったので、損をしますが10回券を9.5ユーロで買いました。1日券は3.6ユーロでした。今はどこだろうともらったパンフレットを見ていたら、アルバイトらしき人が声を掛けてくれ英語で説明してくれました。行き先が他にもあるので電光掲示板(Antares)で確認してください。20分くらいで終点(Antares)に着きま降りましたが、一つ前の駅(Guetteloup-Pole Sante Sud)で降りた人もいました。人の後ろについて行きサーキットのチケット売り場へ。私はルマン24時間の主催者A.C.Oの会員で無いのでWeek end tiket は62ユーロでした。
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サーキットのどこにいるか分からなかったので目印をダンロップブリッジにして、また人の流れについてゆく事に。いくつかのトンネルを抜けるとメインスタンド脇に出ました。サルテ・サーキットは13.629kmなので普通のサーキットの3倍の長さです。写真の白い車は東海大学のチームです。初めての出場なのでドライバーの日除けパラソルを用意していなく、折りたたみ傘を代用していました。こうゆう細かいことが積み重なり次からの参戦にプラスになるでしょう。色々な方々のバックアップがあったと言え、大学生のチームがルマンに参戦できるのはすごいことだと思います。私の周りはデンマーク人、優勝候補のアウディーの同国人ドライバーを応援していて国歌のときは大変でした。君が代の時は四面楚歌なので小さい声で歌いました。
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F1と違い周回をしながら15:00にスタートしました。公式パンフレット(5ユーロ)や公式Tシャツ(20ユーロ)を購入。Tシャツはサイズが分からなかったので試着させてくれました。20ユーロ(3400円)ですからサービスはいいはず。優勝候補(結果は2位)のプジョーの車(スペアーカー?)が飾ってありました。ルマンの車は屋根のあるのや無いのもありますが、F1と大きく違うのはタイヤが隠れていることです。プジョーもアウディーもディーゼル・ターボなのでエンジン音が静かでした。
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自分のいる位置が分かったので、ミュルサンヌに行きたくてサーキット内をうろうろしていたのですが、コースに沿って歩いたら行き止まりでカートコースのピットの上でしばらく観戦していました。写真は童夢の車です。
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写真は寺田陽次郎さんのチームです。パリの親戚はマツダが優勝する1,2年前に食事の手伝いに来て、おそらく寺田さんの運転でコースを走らせてもらったそうです。ここにいたらインディアナポリスに行きたい日本人カップルが声を掛けてくれました。彼も同じルートをたどってきたようで、地図に書かれている赤線で行けるのではと教えました。私もその後移動したのですが、サーキットの中央を横断しているR.D.92の途中で警察官に止められ先へ行けませんでした。普通のチケットではだめなようです。仮にミュルサンヌへ行けても歩くのはすごく大変そうです。サーキットの中は駐車場になっておりすごい数の車です。数日前からルマンに来ているようで、ヨーロッパ人がキャンプをしていました。サーキットへ行かず、テレビ観戦の人も多かったです。電車で来た人が少なかったのが理解できました。
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夜は22時を過ぎてやっと暗くなります。22番スタンド前の間の少し高くなった壁の上に17時頃から翌日2時頃までずっと座って観戦していました。そしてメインスタンドのほうへ移動して写したメインスタンドのパドックの様子です。

ルマン2へ続く
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欧米の旅-ブルターニュ [旅行-フランス]

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時差ぼけのせいもあったのか珍しく親戚に起こされる6:15まで熟睡でした。急いで着替えてコヒーを飲んで6:30に家を出ました。モンパルナスの駅には8:30頃着、昨日下見をしていなければ乗り継ぎなど道中迷っていたかも。9:05発のTGVに乗ってレンヌまで。私の窓側の指定席に女性が座っていたので、チケットを見せて変わってもらいました。料金は前もって予約をしてもらっていたので22ユーロで日本の感覚だとすごく安いと思います。11:08に着いて今度はバス乗り場へ。駅を降りて左方向と聞いていたのですが、分からないので警察官に聞いたらそのまま真直ぐと言われました。確かにバスのチケット売り場の後ろにターミナルが有りました。バスは11:30発で日本人客が70%位ですが、座席は余裕がありました。バスで払うと10.5ユーロですが私はTGVのチケットと一緒に買ったので10.3ユーロでした。
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モン・サン・ミッシェルに13:00着の予定だったのですが、12:40に着きました。バスは島の駐車場を過ぎて修道院の前で行ってくれます。ヨーロッパの人は自家用車やレンタカーで移動する人が多いのですね。入場料は8.5ユーロでした。
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日本人のガイドさんで修道院の中を新婚さんの団体にすごく丁寧に紹介していた人がいました。修道院の中から外を見ると砂浜の上を歩いている人が見えたので、私も行って見ました。この写真はちょうど入り口と反対の場所からです。干潮の時で島の回りは砂です。砂の上に粘土が堆積しているところがあり、少しぬかりながら歩きました。1枚目の写真は水の上にあるように写したのですが苦労したのが分かるでしょうか?
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ゴシック様式の塔が美しいので、外周を周っている時に写しました。修道院は1300年以上の歴史があるので色々な建築様式で増築されたそうです。この川はブルターニュと確かノルマンディの境界線だと、先ほどのガイドさんが言っていました。で、修道院は陸続きになったのでどちらだったかな??
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帰りのバスまで時間があったので、2枚目の写真の川岸を昔の巡礼者の気分になって対岸まで歩いてゆきました。25分で行けたので距離は2km位でだと思います。犬の散歩や自転車の人もいました。この辺りはこれから橋を作って再びモン・サン・ミッシェルを島に戻す工事を始めていました。
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対岸はホテルやレストラン街で、レンヌから来るときにここで降りた日本人の方がいました。お土産広場の隅に使われなくなった蒸留器がありました。ブランデーかグラッパでも造っていたのでしょうか。島に戻ってムール貝とビールで遅い昼食を取りながら17:15発のバスを待ちました。帰りのメンバーも行きと同じようなメンバーでした。
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レンヌに18:30頃着いて駅前の予約していたホテルを探しましたが、見つかりません。レストランの人に聞いたら、隣のさっきほど覗いていたホテルと言われました。納得、私はチェーンホテルの名前を探していたのですが、下の名前が入り口のガラスにくっきりと書かれています。部屋の番号は101、受付の女性が最後の1をuneと言ったので私が不思議な顔をしたら、部屋は女性名詞だからuneだと、番号は男性名詞だからunと教えてくれました。後で別の受付の人に女性名詞で言ったら、男性名詞に直されました。20時頃に夕食を食べに観光を兼ねて街を歩きました。この写真は旧市街の木造建築です。各家の木組みの模様が個性的でした。そしてこの家はだいぶ傾いて建っていてユニークでした。この日はユーロ2008のフランスとオランダのサッカーの試合でフランスが1-4でオランダにぼろ負けした日でした。広場ではテレビを外に出したレストランでビールを飲みながら観戦している若者が多かったです。別の広場ではゲイとレズのお祭りをやっていました。夕食は韓国レストランでプルコギとビールで12ユーロくらいだったと思います。アジア系の人が作っていましたが、甘くゴマ油か何か一味足りませんでした。
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ここはブルターニュ高等法院で裁判所です。屋根の天使が朝焼けに照らされて綺麗だったので写しました。実は昨晩見所がないと思い、カメラを持っていなかったのです。上の二枚は翌朝起きて写してきました。レンヌの若者のサッカー観戦を紹介できなくって残念です。

ルマン1編へ続きます。
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欧米の旅-パリ1 [旅行-フランス]

AF007は1時間の遅れを取り戻し、予定通り8:50にシャルル・ド・ゴールのE到着ターミナルに着きました。気温は32℃くらいから15℃に下がったのでTシャツとベストだけでは肌寒く感じました。空港駅の自動販売機でパスチケットのモビリスを買いたく、フランス人にも頼んで探してもらったのですが分かりませんでした。仕方がないので長い列に並んでカウンターで聞いたら、ここでは買えないと。それならRERでパリまでと8.2ユーロのチケットとを買いました。そしたら、別のパスチケットのパリヴィジットのが目に入ったので、だめもとでファンテーヌブローまで行ける?と聞きました。ゾーン1-8でプラス9.2ユーロ出せばOKとのこと。パリヴィジットはゾーン1-5までだと思ったのでラッキーでした。そして彼女はクレジットカードを2回切ってくれ、パスに名前、チケットに番号を書くのだと教えてくれました。たどたどしいフランス語の会話でしたが、親切に対応してくれました。
RERのB線と地下鉄を乗り継いで親戚の働いているマドレーヌ教会の近くのお店へ。彼女とはタンザニアに行った以来だから1年3ヶ月ぶりでした。ちょうどパリのデザイン・フェアーみたいなのをやっており、準備で忙しそうでした。とりあえずバックパックを置かせてもらい、紹介してもらったサン・ロック教会脇の日本食レストラン街へ行きました。レストランは12時からでしかも高級そうだったので、この前行ったその先のラーメン店へ。ここは11:45からで一番客でしたがOKでした。女将さんは日本人でウエイトレスも日本人だと思ったら言葉が通じませんでした。いつもの味噌ラーメン+半カツ丼(確か10ユーロ)を食べましたが、今回はラーメンのスープが少し塩辛かったです。お店に戻って、4月末にチュニジアへ青年海外協力隊を頼ってきて、スース合宿で知り合った学生と12;30の待ち合わせ。二人でこの日のために作られた一点物の磁器(日本の陶芸家が作るより一桁低いそうです)の説明を聞いてから、急いでリヨン駅へ。
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私は今日1日切符を買う必要は無かったのですが、彼女は黄色い自動販売機で切符を買おうとしていました。でも行き先が見つからないので、カウンターの列に並んでいました。私はファンテーヌブロー行きのチケット売り場は見つけにくいことを知っていたので黄色い自動販売機にいた係員に聞ききました。そしたら指を指して英語でグリーン色のだと教えてくれ、彼女は無事に7.5ユーロで購入できました。ふっと振り向いたらイル・ド・フランス行きのチケット売場が一般のチケット売り場と反対のコーナーにありました。彼女は学割が使えたかもしれません。Lyon発13:38の乗り場が表示板に出たのですが、プラットホームが今度は見つからず階段を上下、結局一般のチケット売り場の裏にあり無事に乗車できました。モンパルナス駅の自動販売機で確か1.4ユーロだったエビアンを1本飲み干しFontainebleu Avonには14:15着。ラーメンのスープが塩辛くてカラダが水を欲しているらしく、ここでもう一本買いました。バスは乗り継ぎがよく直ぐに発車。彼女はバスのお釣りが無いので1.5ユーロ支払わずにすんだそうです。バスの停留所がわからなかったのですが、お城が見えたので次のバス停で降りました。名前は確かChateauでした。
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馬蹄形の階段でナポレオンがエルバ島に流されるときにお別れをしたそうです。NHKでフランス縦断の特集をしていた時のフォンテーヌヌボーはこんなイメージでした。テレビのほうがもっときれいに映っていましたけど。
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どこで入場チケットを買ったらよいのかわからず、うろうろしていたら窓ガラスの脇に白い鳥を発見しました。この鳥は帰りもいたのでここがお気に入りのようです。チケットは正面に向かって右側の翼の中央入り口から入って8ユーロでした。
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始めはあまりたいしたことがない部屋だったのですが、パンフレットに書かれた見所の部屋は立派でした。一緒の学生さんはベットの天蓋がすごいと言っていました。ここはNのマークがあるのでナポレオンが何かしていた部屋だと思います。各々の部屋は少し寂びれた感じで、時間の経過と生活観が他の宮殿より感じられました。
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ディアヌの庭園ではテレビか映画のロケをやっていました。おかげで観光客は中に入ることができませんでしたが、宮殿窓から撮影風景を写すことができました。学生さんはルーブルにあるディアヌの庭園にあった像が好きだそうです。レプリカでもいいので私も見てみたかったです。

帰りは17:54発の電車に乗って18:34にリヨン駅へ着きました。それからモンパルナス駅へ明日の下見と、学生さんもルマン24時間が見たいとのことで切符を買いに行きました。マドレーヌ教会の近くのお店へ戻ったら中庭でジャーナリストなどを呼んでパーティをしていました。私は場違いな格好をしていましたが、親戚に着替えるまでワインでも飲んでいてと言われ一杯いただきました。ワインも良いものだったと思いますが、ワイングラスが洋食器屋さんなので良いものを使っていて、すごく美味しく感じました。親戚はこうゆう時に宣伝しなければと言っていました。

コンコルドから地下鉄とRERのA線を乗り継いで終点のサン・ジェルマン・アン・レーまで、更にバスに乗って親戚宅に着きました。ちょうどローマの出張から帰ってきたフランス人のご主人と娘さんが迎えてくれました。ローマからのお土産もチョコレートがあったのですが、娘さんは自由の女神の形をしたチョコをえらく気に入ってくれました。私は白ワインを飲みながらローマのチョコとオリーブを食べましたが・・・。そう言えば、自由の女神はアメリカ独立100周年を記念して、フランスから送られたのですね。デザインはフランス人好みか・・・納得です。夕食のメインはローストチキン、パンにつける確かタマラーって名前のペーストはタラコに塩味が付いていて日本人好みでした。娘さんがロゼワインを出してくれました。駅の近くのレストランでも若者がロゼワインを飲んでいたので流行っているの?と聞いたら、夏だからだって言われました。最後は洋ナシのリキュールを飲みながらチーズとアイスクリームを食べ、フランス料理らしくフルコースで終えました。話は弾んだのですが、明日の朝が早いので12時頃寝ました。

ちなみにこの日まともに電車代を支払っていたら35.7ユーロなのでパリヴィジトで17.7ユーロ節約できました。

ブルターニュ編に続く
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お知らせ [旅行-フランス]

昨晩、無事にチュニスへ戻りました。旅行中に同時期にチュニジアへ派遣されたシニアボランティアの方が一時帰国中に転倒して頭を打って亡くなられたメールを見ました。人生は分からないものです。

今回の旅はニューヨーク、ボストン、パリ、フォンテーヌブロー、モン・サン・ミッシェル、レンヌ、ル・マンと鉄道を使っての移動でした。今週は少し忙しいので更新できないと思いますが、忘れないうちに書き込みます。

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とりあえず、ル・マンのシャンパン・ファイトをアップします。ビデオか写真で表彰台の下でオレンジのウインドブレーカーとブルーのバックパック姿が見えたら、私です。

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パリ [旅行-フランス]

タンザニアへ行く前に、パリの親戚宅で2泊した。
パリの目的は買い物、ファラフェルを食べることオルセー、ルーブル、モンマルトルの丘へ行く事だった。

シャルル・ド・ゴール空港でRER(電車)のチケットを自動販売機で買おうとした。マスターカードは使えずお札で買おうとしたが入り口が無い。仕方が無いのでカバンの奥からVISAカードを出してもう一回操作をしたら購入できた。

親戚が働いているおマドレーヌ寺院の近くの店に行くためにRERを乗り継いで行ったのだが、同じ切符でRERから地下鉄も利用できるとのこと。

最初のお昼は半カツ丼にみそラーメンのセットで確か10ユーロ。イスラムの国では豚肉が食べれないのでおいしかった。
その後、オルセー美術館へ。11年前にも行こうとしたのだが月曜日で休館日だったので今回はぜひ行きたかった。美術館は思ったより広く見ごたえがあった。

ルノアールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」は製作当時、死体が腐ったような皮膚と評され好評でなかったと本で読んだことがあるが、写真で見る限りではそんな事は感じられなかった。しかし、本物を見たら納得、もっと華やかな絵と思ったけど打撲傷の皮膚のようで今までのイメージと違っていた。インパクトがあったのは「ヴィーナス」の誕生。でも、気に入ったのは子供の頃に写真が家にあった、ミレーの「落ち葉拾い」。閉館時間は6時までだが5時30分を過ぎると締め出される。

親戚のお店が終わるまでまだ時間が有ったので、セーヌ川を見ながら少し散歩、コンコルド広場でオベリスクを見たりして時間をつぶした。
地下鉄とRERを乗り継ぎ親戚宅の最寄の駅、サン・ジェルマン・アレーへ。ここはルイ14世がベルサイユ宮殿を建てるまでいたお城が残っている。
夕食で飲んだアルザスの遅摘みワインはアイスワインと貴腐ワインの間の甘さでおいしかった。

二日目はエッフェル塔を対岸に見ながら、ギメ美術館へ。ここは親戚のお勧めで見ることにした。 アジアのコレクションで有名だそうだ。夜の話ですが、50mくらい先に日本のコレクションの別館があるけど、日本人はいないと・・・だって、地球の歩き方にもそのことは書いてないから日本人はわからないはず。
ギメ美術館に3時間もいたのでルーブルは中止。フランス革命の発端となったバスティーユが見たかったので、この駅で降りてユダヤ人街あるマレー地区まで歩く。ここではNHKのフランス語講座でやっていたファラフェル食べるためである。ファラフェルとはヒヨコマメのコロッケが入ったサンドイッチで4ユーロだった。味はココッケがサクサクしてGood。 チュニジアで私がいつも食べている羊肉の入ったサンドイッチ、シャワルマも6ユーロであった。チュニジアでは1ユーロなんだけど・・・。私以外の日本人や外国人で混んでいた。
そこから歩いて、ソルボンヌ大学の先にあるプラス・モンジェへ。多分ほとんどの人が知らない少し小高い地区。ここはフランス語の教科書に出ていたのでちょっと興味があった。地下鉄の駅は閉鎖されていたので歩いてきて正解だった。
ここから今度はモンマルトルへ行くため、ノートルダム寺院の前を通って地下鉄に乗り北駅の次の駅へ。出口を間違えたら、少し治安が悪そうな場所だった。

サクレクール寺院を目指して東側から丘を登る。

教会を見た後にパリの風景を見ながら少し休憩をとる。ここから名所を見るには双眼鏡があったほうがいいかな。

帰りは似顔絵を書いている人たちを見ながら西側の丘を下る。この界隈は有名人の住んでいた家が多く玄関の脇に名前の入ったプレートを確認できる。映画アメリの撮影で使われたカフェ・ドゥ・ムーランへ。このカフェは一回通り過ぎてしまった。看板には「Cafe des 2 MOULINS」と。ドゥとは数字のdeuxで2だったのです(^^♪。お店の前にカキが売っていた。ここからまた少し戻り今度はモンマルトル墓地へ。フランスの人の墓は皆立派。有名人の墓の前にはお花が多く飾ってあった。後で墓地の話をフランス人の親戚にしたら、わざわざ墓地なんか見ないと笑われた。だって途中にあったから・・・。
二日目の夕ご飯はシャンペンに日本食。私は炊き込みご飯に納豆をかけて食べた(^^♪。チーズを食べると娘さんがフランスパンを切ってくれた。彼女曰く「どうしてもじゃないけど、チーズとパンを一緒に食べるとおいしいから」だって。私はどうやって食べても同じかな。

三日目の朝6時、パリの親戚に見送られてシャルル・ド・ゴール空港へ。RERストライキをするので時間が当てにならないとタクシーで。60ユーロ位と聞いていたが、102ユーロも掛かった。途中から持ち合わせが足りるかひやひや出した。

今回のパリで感じた事は、寒いのにスクーターで走っている人が多いこと、女性も大きいスクーターを運転していた。駐車場の必要が無いから人気があるらしい。それと、女性の歩きタバコを多く見た。優雅そうに見えるパリの生活ですが、歩きタバコの規制はどうなっているでしょう。
そうそう、目的の一つであった買い物はすっかり忘れていました。ボールペンの芯と電動歯ブラシなのでたいしたものではなかったのですが・・・。


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