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MAP OF PANAY 17 [フィリピン]

San Joaquin
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サンホアキン墓地
天国の鉄の門は、サンホアキン墓地に魂を休める人々に開かれています。鉄の門は、実際には素朴なドーム型の構造に通じており、おそらくかつては葬儀のミサが行われた礼拝堂だったと思われます。
中央の建物の中は何も置いていなくコウモリの住処になっていました。

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サンホアキン協会
サンホアキン教会の建設の背景にある物語は、別の闘争を明らかにしています。それは、材料を集めることを余儀なくされたり、割り当てが満たされない場合、むち打ちに直面した町の人々のことです。女性や子供でさえ、海岸近くから砂利や砂を運ぶのに慣れていました。苦労の末に美しい教会が建ちましたが、日本軍から逃げるゲリラによって破壊され 煤で黒ずんでいます。
ゲリラは日本軍の駐屯地に使用されるのを避けるために燃やしたのでしょう。おそらく屋根が焼け落ちて、石作りの壁が残ってよかったです。

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サンホアキン協会のレリーフ
サンホアキン教会の黒くなった破風は、1859 年にスペインが北アフリカのテトゥアンの戦いでモロッコ軍に勝利したことを描いたレリーフです。家と徒歩の兵士たちは、闘争の劇的な感情のすべてを身振りで示し、前進します。騎兵と歩兵たちは、闘争の劇的な感情を身振りで示し前進しています。
私は「The Book ILOILO」を読むまでレリーフに刻まれた絵の意味が分かりませんでした。このレリーフからもフィリピンは色々な国から翻弄されたのが分かります。
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MAP OF PANAY 16 [フィリピン]

Pilar
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ピラー高校
この学校はピラーに(1994年頃)設立されてからわずか半年の新しい高校です。竹、ココナッツ材、ココナッツの葉で作った手作りの校舎です。多くの生徒が自分たちで校舎を作ったことを、私はとてもうれしく思います。
21年後にロハスから乗り合いのワンボックスカーでこの道を通っりましたが、家が多くたっており分かりませんでした。今はブロック塀の校舎になっているでしょうね。

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サトウキビ
19世紀半ばまでにパナイ島の土地はほぼすべてサトウキビで覆われていました。今はピラーのように、作物に専念している大規模なプランテーションはごくわずかです。
サトウキビは固く思っていたより甘くありませんでした。でも現地の子供たちはトラックからサトウキビを抜き取って甘い樹液を楽しんでいました。フィリピンのラム酒が懐かしいです。ラムを飲むときはタガイタイと言って一つのコップを回し飲みしてからチェイサーを飲んでいました。私は生水を飲まなかったので、いつもストレートの一気飲みで直ぐに酔っぱらっていました。
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MAP OF PANAY 15 [フィリピン]

Pavia
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パヴィア教会
イロイロ州の進歩的な町は、パナイ島を農産業開発の主要地域として開発することを推進している政府の中心であるパヴィアです。パヴィアは多くのビサヤの大企業が事業を行う拠点となっていますが、歴史的な教会で明らかなように特別な魅力を保持しています。素朴な赤レンガはその薄暗いインテリアに教区民を歓迎する親しみやすい外観の構造をしています。
確かこの辺りで農業協同組合の活動をしていた青年海外協力隊員がいましたが、配属先と反りが合わず任期短縮をしました。
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MAP OF PANAY 14 [フィリピン]

Panay
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パナイ協会
ここはパナイ島のパナイ町です。大きな町でなかったですが、セブに続いてスペインの2番目の植民地っだそうです。教会の中には東南アジアで最大の鐘がありました。

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White buffalo(Pilarと Panayの間)
カピス州(パナイ島北部)は白い水牛(アルビノ)が多い所で有名です。フィリピンの人たちは水牛をカラバオと言い、国を代表する動物になっています。白い水牛の左側の水牛が一般的な色です。
この二頭を同じ構図に入れて写すのに、水牛が言うことを聞いてくれなく苦労しました。


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MAP OF PANAY 13 [フィリピン]

North Gigante Is.
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North Gigante Is.
「Gigante」は日本語で「巨人」を意味します。巨人が島に横たわっているのが分かるでしょうか。1994年時点でのノースギガンテは、15年前のボラカイ島のようです。ボラカイがマーケットツーリズム向けに開発されるにつれ、先駆的なバックパッカーが代替手段としてノースギガンテを選択しました。
初めてノースギガンテに渡った時は、エスタンシアの港で荷物が重すぎて満潮になるまで半日くらい船上で待たされました。積み過ぎた荷物を船から降ろしたりしていたので、手伝おうとしたら「外国人だからしなくていい」と言われました。ホームステイをさせてもらった中学校の先生宅は、以前ピースコーのカップルが住んでいたそうで、良い家に住んでいたんだなと思っていました。調整員によると私のカルレスの部屋は65人ほどいた協力隊員の中で下から2番目と言ってたので無理もないです。
2017年1月に行ったときはCarlesのBancalからGigantesのLangobまで定期便が出ていました。10時に出発して11時30分に着き、料金は75ペソでした。島からの便は14時発、15時30分着なので日帰りも可能でした。次回カルレスへ行くときはノースギガンテまで足を延ばしてみようかな。

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Granada High School
ギガンテスにはノースギガンテとサウスギガンテの2つの島があります。ノースギガンテは5×3㎞の大きさです。グラナダハイスクールでは毎年恒例の学園祭がありました。前列に並んでいるカップルはMr & Missコンテストの参加者です。
私はこのハイスクールでも食品科学の授業をしていました。日本で働いていた会社のスライドを見せたかったので、発電機の有る学園祭の時に再びノースギガンテに渡りました。島の北側に日本製の灯台がありました。島の南側に洞窟があると聞いたので、尖った石灰岩の崖を登ったのですがビーチサンダルに岩が刺さって断念しました。
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MAP OF PANAY 12 [フィリピン]

Miagao
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UP Visaya
フィリピン大学ビサヤ校(ミアガオ)には水産学部があります。イロイロ地域に国の州立大学はの誰もが認める教育の場ビサヤ校があります。
ミアガオへ向かう道はいつも花が咲き盛り、南国の暖かさを感じながらバイクで走っていました。

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ミアガオ教会
イロイロ市から車で1時間の距離にありますが、歴史的建造物の愛好家はミアガオ教会の美しさに感動するだけの価値があります。教会は1787-1797年に建てられましたが、ハロ大聖堂や他のイロイロ教会と同様1948年の地震に襲われました。
私がフィリピンピンへ赴任する前年の1993年に世界遺産になっていたのですね。現地に人々はキリスト教の祈りの場なのか、世界遺産の看板もなかったと思います。私は帰国をしてから世界遺産と知りました。

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教会のレリーフ
砂岩でできた正面の特徴は、ココナッツ、バナナ、パパイヤの木、様式化されたグアバの果実のレリーフが刻まれていることです。
当時は砂岩の色がまばらだったので、修復をしたのでしょう。教会の中はガランとしていてインパクトのあるレリーフを見た後に拍子抜けをした記憶があります。
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MAP OF PANAY 11 [フィリピン]

Mambusao
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青年海外協力隊
彼はカルレスから道のりで80㎞離れたマンブサオで活動していた、一番近所の日本人でした。JICA関係でカルレスに来てくれた5名の内の1人です。職種はシステムエンジニアでPanay State Polytechnic Collegeで教えていました。彼とは海外で数回再開しています。このお店はSister's Bachoyと言って、彼はこの2階に宿泊していました。Bachoyとは豚の耳の唐揚げがトッピングされたラーメンで、このお店のが一番おいしかったです。
10年ほど前に、私のHPを見たこのお店の甥っ子からメールが着ました。彼は当時の私のことを覚えていてくれました。残念ですが、おばさんたちは高齢でこのレストランを閉めたそうです。
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MAP OF PANAY 10 [フィリピン]

Iloilo City
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Iloilo博物館
現代的なイロイロ博物館の建物には歴史的な過去の建物があります。小さいながらも魅力的な展示品は多くの陶器、宝石、白骨でスペイン以前の墓を掘り出し、他のアジア文化とイロイロの賑やかな貿易の証拠です。スペインの時代は宗教的および政治的な遺物によってよく表されています。
私はこの博物館の展示物を思い出せません。フィリピンの博物館というとマカティにあったアヤラ博物館のフィギアを思い出します。

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Jaro大聖堂
ハロ大聖堂は1864年に建てられました。この年、この地区は教皇ピウス9世によって教区に指定されました。大聖堂のスタイルは基本的にバロック様式で、多くの改修にゴシック様式の要素が追加されています。
カルレスからイロイロへ向かうとき、この教会を見るとイロイロに着いたと思っていました。カルレスからのバスターミナルはイロイロ郊外に移転したので感激もありません。
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Molo教会
そびえ立つ赤い尖塔は1831年に建てられたモロ教会です。建設後すぐに、ミンダナオに向かうと裕で立ち寄ったホセ・リサール博士から高く評価されました。また。宗教芸術の中で最も美しい顔と細部のいくつかを備えたアンティークの女性聖人のコレクションも知られています。
私もスマートなこの教会が好きです。中の様子はこちらから。

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San Jose教会
古いイロイロ教会ほど歴史的ではありませんが、最近建てられた建造物も同様に印象的です。教会は今でもコミュニティ活動の中心として機能しており、イロンゴは熱心なキリスト教徒であり、スペイン時代のように力ではなく、今や心の中にあります。
教会の写真を撮ったので訪問したことがあるのでしょうが、イロイロの奥にあるので記憶にありません。

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税関
税関のあるイロイロ港は長い港を形成するイロイロ川の曲がりくねった曲線を見せています。1855年に開港し諸島(フィリピン?)で2番目に重要な港として認識されました。島間および国際的な船舶はここに停泊しています。多くの業界リーダーは、その可能性が完全には最大化されていないと感じています。税関のタワーは1916年に建てられました。アメリカの植民地時代ですね。
新潟の開港が1869年で擬洋風建物の税関が立てられましたが、建物は新潟の方が遅れています。

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J.M.Basa 通り
J.M.バサストリートは、市内のショッピングとビジネス地区です。撮影のため交通量は少ない時の写真ですがですが、ジプニーが多く走っています。カルレスから一番近いエスタンシアの銀行は信用が低いと言われ、J.M.バサストリート奥の銀行に口座を作りました。ちなみに偽札が多いようで100米ドル札の方が20米ドル札よりもペソへの両替レートが良かったです。
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MAP OF PANAY 9 [フィリピン]

Igbaras
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Nadsadan Falls
おそらくこの写真の山の裏手にナダサン滝があると思います。地球の歩き方によるとギンバルから20㎞の内陸にあると記載されていましたが、DT50のオフロードバイクでは行けませんでした。雨が降ると道は泥だらけで滑りやすくなります。私の経験から泥道は2輪の馬車(水牛とかも)がぬかり難くくて良さそうです。ここら辺は内陸部のためか黒土で作物の育成に適していそうです。ちなみに私の任地のカルレスははバラサンから舗装されておらず、赤土で雨の日は体中泥だらけになりました。
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