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旅行後記-タンザニア編 [旅行-タンザニア]

今回の旅は2007年3月21日から4月2日だった。チュニジアからパリ、アムステルダム経由でタンザニアへ行くにはアクセスが悪く、パリで2泊(1泊でもOK)した。その他のルートはチュニス→中東のドバイ→ダルエスサラームがある。日本からだと関空→ドバイ→ダルエスサラームがカタール航空とエミレーツ航空が運航している。タンザニアのサファリに行く場合はアムステルダム経由のKLMに乗り、キリマンジェロ空港で降りたほうがいいと思う。

今回の旅で感じた事は、一般的な農村部に住む人々の生活レベルはアジアもアフリカ(タンザニア)もそんなに変わりがないと思った。国内の平和が、国民に幸せをもたらしていると再認識した。東南アジアとの大きな違いは都市部の道路や上下水道などのインフラ整備状況、タンザニアが遅れている。こちらでは日本語の書かれたままの車が多くあった。日本の救急車を改造した乗り合いバスも2台見た。日本と同じく左側通行なので、日本の中古車は重宝され、道の悪いタンザニアでまだ十分使える。しかし、これから排気ガスの問題が心配。ただ、これらは北半球の私が西洋的な価値観で見た感想に過ぎないが・・・。

友人曰く、タンザニアには商品のイミテーションが多く品質が悪い。物を買うのに信用できないと言っていた。ミテーションの件はブルガリア人のレスリングコーチも信用できないと言っていた。チュニジアでも安くて品質の悪い商品は多くある。私は、日本で不良品なら保証書もあるし、返品もできると答えておいた。安心して物が買えるって当たり前と思っていたけど、世界は違うのですね。


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ダルエスサラーム2 [旅行-タンザニア]

アリューシャのバスターミナルを8時30分に出発し、17時30分にダルエスサラームのウブンゴバスターミナルに着いた。サファリから帰った時にアリューシャも暑いと思ったが、さすがに海岸地域は蒸し暑い。バスの中はエアコン(東南アジアのように冷えすぎではない)があるので暑いと感じなかった。友人にデジカメで写した動物の写真を見せ、水を浴びて寝る。

朝ご飯はウガリと乾燥した小魚(小女子みたいなの)をバナナとココナッツミルクで味付けした料理を食べた。乾燥した小魚は海でなくビクトリア湖で獲れた魚だといっていた。魚の旨味成分が濃縮され、煮込んでもカリカリした食感が残り旨い。ウガリはケニア産のを日本で食べた事があるが、タンザニアのウガリは白くて蒸し饅頭のようだ。ケニヤのは黄色でドロドロしていた気がする。ウガリは手で丸めて食べるのだが、私は手が熱くなり丸めることができない。丸めると味が変わるのかと思って試したが、そんな事もない。友人にどうして丸めるのと聞いたが、当た前って顔をしてた。

今日は日曜日なので教会に特別の祈祷者(プレイヤーと言っていた)が来ると言うので行く事にした。私はどうでもよかったのだが、ズボンと長袖シャツにアイロンを掛けてもらった。フィリピンでもそうだったが、教会へ行く時はオシャレをする。多くの人がセネガル(大西洋側、タンザニアはインド洋側)の派手な民族衣装を着ていた。教会へ10時に行ったら、ほぼ満席。200名くらいはいたと思う。ミサは祈祷者の話と歌が中心に行われる。祈祷者の言っている意味は分からないが、外側から見ているとコメディアンのようである。歌はみな上手い、どこかで聞いたことがあると思ったらゴスペルがアフリカに逆輸入されてたのだ。途中、雨が降っても歌と踊りは止まない、自己陶酔に入っている人もいる。スペシャルプレーヤーは3時間ぐらい喋り続ける。途中、お金を1,000シリング寄付し、ウレハスにワイン(グレープジュースだったけど)を飲む。最後は何人かのプレーヤーが参列者に祈祷をして場内を回る。歌って踊って失神した人もいたが、プレーヤーにより何十人もの人が失神する。クリスチャンなのだがカルト的なミサだった。私も両耳を手で覆われ、プレイヤーの呪文?の息を鼻で感じながら祈祷されたが、呼吸をコントロールして失神はしなかった。私の体験では過呼吸にして血中の二酸化炭素を下がり、失神させていると思う。友人にこのことを話したら、祈祷されなくても倒れる人がいるのだから神が降りてきたのだと言ってた。タンザニアに昔派遣してたJOCVに聞いたら1970年代はなかったけど、8年前はやっぱり失神者がいたとメールが来た。そうそう、キリストの像や絵が飾ってなかったのだけど、どこにあるかあっけに取られて聞くの忘れていた(^^♪。

通常12時30分頃終わるそうだが、今回は14時までやっていた。まあ、雨の中帰らなくてよかったが・・・。
家に帰り、少し休んでダルエスサラーム郊外のムエンゲ(通称マコンデ村)へ行く。チュニジア在住のブルガリア人レスリングコーチに彫刻を頼まれたからだ。彼は2月にブルキナファソで彫刻を買い、アフリカの仮面や像に興味を持ったらしい。村は雨上がりで道み水溜りがあり歩きにくい。6,7件店の中を見て気に入ったものを探す。私はマサイや動物の像よりも悪霊をテーマにした像がユニークなのでお土産にしたかった。木材の種類はナチュラル(黒檀)とポリッシュ(磨くって意味だけど、靴墨で色付け)したものがある。品物はあまり売れないのか、ホコリが掛かっているものが多い。ポリッシュの小物は2,000シリング位からあった。私が欲しかった彫刻は40,000から50,000シリング位の言い値だ。予算を30,000シリングにしていたので、3万と言うと2件目でこの価格でOKだった。村に入ったのが端のほうからだったので15件くらいの村かと思ったが、メインストリートにも20件位は有りそうだった。外国人は何人かいたが、供給の方が多いかな。後で気付いたが購入した像が少しぐらつく。買う時はきちんと像が立つか確認したほうがいい。気に入ればお店で平らにしてくれると言っていた。

ムエンゲと友人宅はダルエスサラームの中心にして反対で、帰りは渋滞に巻き込まれ飛行機に間に合うか少しあせった。バックパックに汗だくになりながら急いでパッキングをし空港へ向う。友人は空港内に入れない。今度はダイビングに来ると言ってお別れ。20時少し過ぎにチェックイン、空港の出発ロビーは雨漏りしている箇所があったが、ルネサンス建築のような造りになって手が込んでいる。ヨーロッパの空港じゃ問題にならないのに、ダルエスサラームのX線検査に2回とも止められ、カバンの中を検査。それだけ、安全に注意しているのね。タンザニア、ありがとう!


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サファリ4-ンゴロンゴロ自然保護区 [旅行-タンザニア]

セーターを着て寝たので寒さは感じずに目覚めた。いつものメニューの朝食を取り、8時にクレーターへ出発。一昨日の入り口から下る。坂は思ったほど急ではなかったが、さすがにルーフのから首を出すのは禁止された。ここは世界遺産に指定されている。クレーター内はいくつかの池があり、水辺に動物が多くいる。今は乾季の終わりでクレーター内の道はしっかりしていたが、12月にガイドとその他12台の車がは池でスタックしたそうである。

直ぐに、今朝キャンプまで来ていたイボイノシシとバッファロー会う。キャンプで何か餌はあったのだろうか?

ディスプレイがよく見えず感で写したのだが、右上にチーターの後ろ姿があるのがわかるだろうか。水辺にいる動物をハンティングするのを期待してしばらく待っていたのだが、全然動く気配を見せずあきらめた。

ダチョウの群れ、セレンゲティーにも多くいた。

ウガンダの国鳥のカンムリツルの親子。日本の国鳥を聞かれてわからなかったので調べたら、キジだった。

クレーターの中央へ進むと、腐敗臭がしてきた。バッファローの死体に鳥が群がっている。彼らは死体を食べているのでなく、他の鳥(多分ハゲタカ)を待っているとガイドが言っていた。バッファローの皮は厚く、くちばしの鋭い鳥でないと皮を破れないそうである。食べ始めたら45分でなくなるとか。

生まれて2,3時間のシマウマの赤ちゃん。まだ、足がふらついて可愛らしかった。我々がクレーターに入ってから生まれたとガイドが言っていた。肉食動物の餌になるなよと、ガイドが祈っていた。クレーター内にはブラックライオンが10匹いるそうだ。黒いライオンがいるのかと思っていたが、たてがみが黒いライオンのことか?

クレーターの出口からのビューポイント。クレーターへの下りと上りの出口は違う。こちらのほうが急な坂道で岩もあり、途中で車が止まってしまった。理由はガイドの上司から4輪駆動で走ると燃費が悪くなると言われていて、必要以外は2輪で走っていたのである。

キャンプ場に戻りお昼のミートスパゲティを食べながら、ガイドとコックへのチップの話をする。各自が二人にに10,000シリングずつにまとまり、会計のオーストラリア人女性に20,000シリングをわたす。そうそう、デザートはいつもスイカだった。ブドウを西洋人は種ごと食べるのは知っていたが、スイカも種まで食べるのですね。私は日本人らしく種を捨てていた。だって、盲腸になるって子供の頃言われなかったですか?

楽しかったサファリも終わり、アリューシャに着いたのが17時30分。ガイドとコック、同じツアーだった人たちと固い握手を交わす。私だけ同じホテルにチェックイン。南アフリカの翻訳家はオランダ人親子と同じホテルに移っていった。久しぶりの温水シャワーを浴び、きれいな服に着替えた。下着は毎日着替えていたが、直ぐにホコリだらけになるので同じズボンと長袖シャツを5日間着ていた。インターネットカフェでメールを確認する。新潟とアメリカからのメールで輪島に地震が有ったことを知る。アルファベットは書き込めるので、英文の返事だけをする。夕食はまた、チキンカレーにした。しかし、先回より美味しくない。ウエイトレスにコックが変わったと聞くと、明日また食べてと言ってたが、明日は帰ると答えた。ここに来ると高度が低くなったので少し暑く感じたが、夜は快適に眠れた。


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サファリ3-セレンゲティ国立公園 [旅行-タンザニア]

6時に起床、6時30分に昨日と同じメニューで朝食を取る。7時に出発、迷子のインパラがいてライオンのハンティングが見られるかと思ったが、期待はずれ。やっぱり12月がいいのかな?

キャンプ場からオランダ人の宿泊しているロッジまで5kmくらいある。途中バッファローの群れを発見。警戒心が強く、角が折れているので獰猛で危険なバッファローだそうだ。

ロッジの近くにいたインパラ。動物は結構身近に見れるのがわかるでしょうか?オランダ人曰く、ロッジの部屋も食事も快適だったそうだ。この日はロッジの宿泊が羨ましいと思った。

これはトピー。太ももに打撲したような後がある動物。あんまり可愛くない。

インパラの群れが道路脇にいた。セレンゲティではよく見るインパラだが、低木の林に生息するのでンゴロンゴロにいないとガイドが言っていた。

セロネラ川にあるヒッポ・プール(カバの池)。中央の岩の上にワニがいるのがわかるでしょうか?ここは車から降りて歩いて池まで行ける。ガイドがサービス(何をしたかは内緒)をしてくれ、カバがブーブーいい迫力があった。あと、池の周りにタバコの吸殻が多く落ちていて、南アフリカ在住の翻訳家が、怒りながら拾っていた。

セレンゲティからンゴロンゴロへ向かう幹線道路でライオンの雄を発見。やっぱり百獣の王は風格がある。

小型で横筋があるトムソンガガゼールの群れ。大型ののグランドガゼールは写真に写したと思い込んで他のですが、忘れてました(^^♪
その他帰り道ではヌーとシマウマの行進、鳥(ハゲタカ?)がインパラを食べている光景を見た。

ンゴロンゴロの山に入るとキリン模様の送電塔が立っている感じでキリンを多く見る。この頃は見慣れたのか、誰も車を止めて写真を写そうとしなかった。

今晩のキャンプ場に17時頃到着。クレーターの淵にあるが樹木で遮られ見晴らしは、このアングルがベスト。クレーターの反対側では稲妻が見えるのに、こちらは晴れていてクレーターの大きさを感じる。電気は22時まで、温水シャワーもあるが、18時30分頃シャワーを浴びたらお湯が無くなって水だった。オーストラリア人の女性は明朝、お湯が出るといっていたが21時30分頃にお湯が出てシャワーを浴びてた。ここは標高2,300mで寒い。持参したセーターにパーカで夕食を取る。メニューは忘れたが、ガイドがテントの中に食べ物を入れとかないようにといったので、パリの親戚からもらった柿の種を取り出し、みんなで食べる。全世界的に柿の種は評判がよかった。柿の種は私の出身地で作っているのですよ~。次回外国へののお土産はこれかな。翌朝、オーストラリア人が朝4時頃トイレに行ったら、イノシシがテントの周りにいたと言っていた。昨晩のうちに柿の種をお腹の中に入れておいてよかった(^^♪。


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サファリ2-セレンゲティ国立公園 [旅行-タンザニア]

朝6時に起床、6時30分にトースト、オムレツとソセージの朝食を取る。出発は7時30分。ンゴロンゴロの料金所を過ぎると、凸凹道が永遠と続く。坂を上り詰めンゴロンゴロのクレーターの淵を回り、セレンゲティへ向かう。

明日はここからンゴロンゴロのクレーターを下るとガイドが言う。

山の向こうにマサイ族の村やキリンが見える。山を降りてしばらく草原地帯が続くのでセレンゲティかと思ったが、三角錐に石積みされた目印からセレンゲティだそうだ。車での移動が長くライオンがいないのを幸いに、女性人はブッシュの中で用を足していた。

3月下頃はヌーやシマウマがンゴロンゴロとセレンゲティの幹線道路を横切る季節で、草原に永遠と続く彼らの移動を見る事ができた。この壮大さは他のサファリでは見る事ができないだろう。野生の動物なので警戒心が強く、心無い車が彼らの横断を遮ると逃げてしまい別の横断場所を探していた。

ヌーやシマウマの群れを追ってライオンも移動する。ただ、日中は暑いので昼寝をしている。この写真は幹線道路に寝ている雌ライオン。ガイドもコックもこれほどの近距離は珍しいのか、携帯電話で写真を写していた。道路は草がないので歩きやすいのだろうか、ライオンの足跡を良く見た。

道の彼方がンゴロンゴロ方向。13時頃、コピー(岩丘)で昼食を取る。メニューは昨晩調理していた鳥の唐揚にピロシキみたいなの。鶏肉は夕方、現地スタッフが食べたのかと思っていたけど、我々のお弁当になっていた。大草原が見える岩山に登りこの写真を写す。コピーとはオランダ語で岩丘群だと地球の歩き方に書いてあった、同行のオランダ人に聞いたら、そうだと答えた。でも、どうしてオランダ語が使われるのだろう?

こちらが今晩のキャンプ地、セロネラへ続く道。ここで公園入園料を支払う。この地が大草原なのは、草には十分な土でも、樹木には土が足りずに繁殖できないとセロネラの近くでEUが寄贈した博物館に書いてあった。

17時頃、オランダ人をロッジに下ろしてキャンプ場へ向かう。キャンプ場は電気がなく、トイレ、シャワーも建物だけで汚い。水はタンクから50mほど運ばなくてはならない。この日は水浴びもせず、トイレも外で用をした。しかし先日のキャンプは我々だけだったが、今回はアメリカ人の団体が15名くらいいる。彼らは一週間ここに滞在するそうで、彼らのバイタリティに恐れ入った。ホコリだらけだが、星空を見ながら暖かい夕食を取る。メニューはキューリのスープにパイ。赤道の近くなのでオリオン座が天頂に見え、南十字星も見えた。ドライバーはオフロードの長距離走行だったので、今日が一番大変といってた。
翌朝ガイドから聞いた話だが、12月にはシマウマの群れがキャンプの近くに集まっており、ライオンが12匹いて夜中警備をしていたと。ライオンのハンティングを見るなら12月がよさそう。ちなみに3月はトップシーズンの終わりだ。


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サファリ1-マニヤラ湖国立公園 [旅行-タンザニア]

今日から3泊4日のサファリツアー。集合時間は9時だったが、結局10時出発となった。メンバーは昨日の南アフリカ在住の翻訳家、タンザニア在住のオランダ人女性で医者 、そのオランダ人の父親、アリューシャ郊外にあるインターナショナルスクールの友人宅へ来ていたオーストラリア人女性の弁護士と私。ドライバーとコックを合わせて7名でサファリツアーを行う事になった。
途中、お弁当、食料や水を買いながら西へ進む。道は新しく舗装されていてすごくいい。オランダ人の父親が看板を見て、日本の援助で建てられていたと言っていた。13時30分頃初日のキャンプ場着き、お弁当のお昼を取る。メニューは昨日とそんなに変わっていない。

最初のサファリはマニヤラ湖国立公園。規模としてはそんなに広くないらしい。湖のと絶壁の間に動物がいる。公園を進むと、バブーンの群れと会う。バブーンは獰猛でガイドの犬が殺され、マサイ族の赤ちゃんが食べられるそうだ。

森林地帯なのでサルが多い。これはブルーモンキーと言っていた。まあ、これくらいなら、日本のサル山とさほど変わらないと思いながら、ランドクルーザーのルーフトップから動物を探す。

森林を抜け湖に出るとカバとペリカンがいた。公園内の道が決っており近くまで行けない。カバは双眼鏡を使って見ないと丸太にしか見えない。カメラのデジタルズームを使って写真を写す。

低木の地帯へ行くと、ディックディックの夫婦に会う。こちらは雄。ディックディックはパートナーを決めたら一生変えず、片方が死んでも再婚しないので、ガイドがクリスチャンと言っていた。

しばらく進むとゾウと遭遇、縄張り争いか力比べかわからないが、二頭のぶつかり合う音まで聞こえ迫力が有った。

野生の巨象で書かれているマニヤラ湖のゾウの群れはもっと大きかったのだろうか?

ちょっと見にくいかも知れないが、中央の水平の幹の上で寝ているヒョウがいた。やっぱり高倍率のデジカメが欲しい。ガイドは今年になってヒョウ見たのは3回目で、初日なのに今日がベストと言っていた。彼は毎月4回サファリツアーに来るそうで、一ヶ月に一回ヒョウのチャンスだった。

帰り道の森林地帯ではトカゲを見た。少し気持ち悪い。公園のゲートでレンジャーから、ゾウ、キリンとヒョウは見たかと聞かれ、すべてイエスと答えたら、パーフェクトと言われた。キリンの写真は別の公園でアップする。

バオバブの木を見ながらキャンプ場へ戻る。帰りは果実が食べられるので採ろうと石を投げたりしてたが結局失敗だった。オランダ人親子はロッジに宿泊。一時間遅れたのはツアー会社が彼らにロッジを進めていたらしい。パノラマキャンプ場は備え付けのテントがあり、シャワー、トイレ、食堂には電気が来ていて綺麗とは言えないが設備は良いほうだった。夕食はキューリのスープにビーフステーキで暖かい夕ご飯が食べられ、おいしかった。近くにいる5,6人の学生がアクロバットダンスをやると言うので食堂で見る。チップは私とオーストラリア人から2,000シリングずつ。テントのジッパーをきちんと閉めるのを忘れ夜中に雨が降り、寝袋の先のほうが少しぬれていたが片付けるまで気づかなかった。


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アリューシャ [旅行-タンザニア]

チュニジアに戻ってから風邪気味で、体調が良くありません。熱は高くないのでマラリアではないと思いますが・・・。

さて、ダル・エス・サラームの郊外にあるウブンゴバスターミナルへ早起きをして行く。私が乗るScansinabia Expressは高級バス会社のようで独自のターミナルを持っている。ターミナルで待っていたら日本人のグループが女性を1名含んで5、6名来た。持ち物から察して青年海外協力隊の人たちだったと思う。朝で私も気分が乗らず彼らとは後で話せばよいと思っていたが、別行きのバスでどこかへ行ってしまった。そう言えば、隊員の人たちはアリューシャへ行ってはだめだったかな。バスは8時発なのだが、一時間遅れで9時発となった。先に外国人などが乗っていたので、市内にも乗り場があるらしい。隣に座った人に聞くと、人数が集まらなかったので8時と9時のバスを一緒にしたとのこと。バスは一般国道を130km/h位のスピードで北へ向かってゆく。バスの中ではジュースとビスケットを最初に配り、4時間位したら水とアメを3個くれた。バスにトイレは付いているのだが故障中。男性陣は途中で止めてもらい、立ちション。4時半くらい過ぎ鉄道と何回か交差した山のふもとのレストランでお昼休みを30分取る。町の名前はMo???。タンザニアの人たちは3,000シリングのグリルチキンにフライドポテトの付け合わせを良くてべていた。6時間くらいすると正面にキリマンジェロ山が見えてくる、左の山頂には残雪が残りきれいである。国道の突き当りまで行くと、車重確認の検問所があった。バスの重量は12,500kg位。今度はキリマンジェロを右手に見て進む。途中モシのバスターミナルで止まり、終点のアリューシャへ17時30頃着いた。

ここはScansinabia Express独自のターミナルで他のバスターミナルは別の場所にある。一人のタンザニア人がしつこく、ホテルとサファリツアーは決っているか聞いてくる。よく聞くと私が宿泊を予定しているホテルとツアーである。大通りに出たところで彼は地球の歩き方と逆の方向にホテルがあると言う。彼は色々説明してくれて郵便局が決め手で、彼を信用して付いて行った。後で確認したら地球の歩き方に書いてあるScansinabia Expressのターミナルが位置が違っていたのである。ホテルはメリュー・イン。小さい看板は外にあるが、受付はビルの内側にあり彼から紹介してもらわなければ探す事になっただろう。部屋を見てくれと言うので部屋を見てからチェックインする。トイレ、シャワーは共同だが不便はなかった。次にホテルに中の一階にあるヴィクトリアツアーへ。夕方で誰もいなかったが、マネージャーが来てくれた。事前にやり取りをしていたメールのコピーを見せて、明日から3泊4日のサファリに行きたいと告げる。彼曰く、そのツアーは明後日あるからそれに参加してくれと。それからここのホテル代はツアーに含まれるから支払わなくてもいいのと、明日は40ドルのトレッキングツアーをサービスすると言ったのでOKした。日程がタイトな場合は前金を振り込んで契約書をもらっていたほうが、確実。まあ、ツアー会社は1,000社位あるそうで、探せば予定通りに行けると思う。夕食はホテルの廊下を利用したレストランでチキンカレーとビールを飲む。チキンカレーは3,000シリングだが香辛料とグリルしたチキンの香ばしさがマッチしてすごくおいしい。ビールはウエイトレスがお勧めで象マークのNdo??500mlが1,400シリング。1,300m位の高地で涼しく夜は快適に蚊もいなかったが蚊帳の中で寝た。

翌朝9時、アリュシャ郊外へトレッキングツアーに行く。同行者は南アフリカ在住のイギリスとフランスの二重国籍を持つ旅行翻訳家、東ベルリンに住む旅行研究者と私だったが、南アフリカ在住の人は親指に怪我をしていて歩けないと言い、途中でホテルへ帰った。

キリマンジェロコーヒー?とバナナを見ながら途中でバナナワインを1,000シリングで飲む。アルコール分10%と書いてあるが、少し怪しい。味は少し酸味が強く発砲しているが、匂いは少なく飲みやすかった。アリューシャで作っていると言っていた。

同行のドイツ人がハッシシの煙の匂いがすると言ってたが、ガイドは否定しなかったので多分どこかでやっているのだろう。植物の名前を聞きながら、2時間くらい歩き回り滝でお昼を食べる。お弁当はピロシキ見たいのにハンバーグとサンドイッチ、缶ジュースと全部食べきれないボリューム。ドイツ人はドーナッツのようなものとリンゴのだけ。彼女と私は別々の紹介なので、50ドルも払ったのにと怒っていた。ちなみにガイドの取り分は5ドルだと言ってた。

帰り道に民家でトイレ休憩をする。家の中を見て、思ったより生活レベルが高いと感じる。家具やテレビがあり、フィリピンと同じかな。子供たちの目が輝いているのが印象的だった。

ガイドがちょうど14時30分に合わせてくれたのか、小学校の退校時間と重なる。この校舎の一部は日本の援助で建てられたと言っていた。子供たちと一緒に坂を下り、大通りへ向かう。ドイツ人は10,000シリングでバテッィクを買い、二枚に切って、淵をミシンで縫ってもらっていた。写真を送ると、メールアドレスを書いてもらい15時30分頃ホテルへ戻る。彼女は4歳の子供がいるが、旅行ができる環境なのですごいなと思った。夕方までまだ少し時間が有ったので、インターネットカフェへ行く。料金は30分500シリングでインド系の人たちが経営していた。通信スピードが遅く、メールチェックでほとんど時間を使った。当然日本語の書き込みはできない。夕食はビーフカレー3,000シリングと同じビール。肉はそんなに硬くなく、おいしかった。


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ダル・エス・サラーム1 [旅行-タンザニア]

安全上、ダルエスサラームでもデジカメを持ち歩かなかったので写真はありません。

パリからアムステルダムで乗り継ぎ、途中キリマンジェロ空港でお客を下ろしてダル・エス・サラームへ。約15時間半の旅。私の両隣はフランス人。彼らは機内食をサラダ→メインディシュ→チーズ→デザートとフルコースで食べていた。さすがフランス人。
空港でビザの申請書類を記入して待っていたら、事前審査の入国管理官から「公用パスポートなのでビザはいらない」言われた。今度は入国審査へ、「ビザがない」と言われたので、「あっちの管理官から、公用パスポートなのでいらないと言われた」と言うと、管理官が「sorry」と言った。私はこの言葉にびっくりしたのと、そんなにプライドの高くない人たちなのかと感じた。

空港を出ると、新潟の大学院に留学していた友人が迎えに来てくれた。5年ぶりの再会である。現地の人の生活が知りたかったので彼女の家にホームスティさせてもらう事にした。ダル・エス・サラームは活気があり、どこと無くフィリピンの地方都市に感じが似ている。途中から凸凹道になり、4輪駆動車でないと走れないような道を普通の乗用車で走り家へ着いた。家は新築中で電気が無くランプで明かりをつけている。当然水道とシャワーも無く、井戸から水を汲んで水浴びをした。トイレは水洗だが、日本古来のトイレに似ているが平らな形である。このトイレは、進行方向に向かってするのか、洋式トイレのように逆なのか、ついに聞かずじまいだった。ちなみに私は日本式の向きでしました(^^♪。夕ご飯はバナナと野菜の入った煮込み料理でココナッツミルクがうまく使われていておいしかった。食後に買ってもらっていた、マラリヤ予防薬「メフロキン」を飲む。本当は渡航1週間前から飲まなくてはいけないのだが、チュニジアでは入手しにくい。価格は6錠で15,000シリング(1,500円位)。これは週一回の服用で良いが、帰国してから4週間飲まなくてはいけない。後でタンザニア在住のオランダ人医師に聞いたら、彼女もメフロキンを服用しているが、もっと良い薬が出ているといっていた。
ダル・エス・サラームは蒸し暑く、汗をかきながら蚊帳の中で睡眠をとった。

翌日は銀行のATMでタンザニア・シリングを引き出した。国際キャッシュカードは便利である。ちなみにドルとのレートは50ドル札以上が1,240シリング/ドル、20ドル札以下が1,160シリング/ドルだった。その後、ダル・エス・サラームからサファリツアーの基点となるアルーシャまでのバスチケットを27,000シリングで買う。JICAの安全ブリーフィングの時間までまだ少しあるので、海に面している大統領官邸や友人が働いている首相オフィスを見たりしていた。途中に中国が寄付したタワーが見えたが、この町にはちょっと似合わない。JICAタンザニア事務所は官庁街の外れの銀行と同じビルにあった。土曜日でお休みなのですが休日出勤をし、ブリーフィングをしてもらいありがたかった。ワンボックスカーの乗り合いバスを乗り継いで帰宅する。夕食はサバのシチューとほうれん草の油炒め、デザートはパパイヤだった。サバはダル・エス・サラームの沖合いにあるザンジバル島から来たとお手伝いさんが言っていたが、鮮度の良さから日本から輸入されたものと思う。昨年は北欧のサバが高く、日本からタンザニアへ2,370トン弱輸出している。サバがこのように一般的に食べられているのはうれしい限りである。ちなみに日本からチュニジアへのサバの輸出量は1,180トン。しかし、これは食用でなくマグロ蓄養の餌と考えている。
教会からの歌声とコーランのお祈り、キリスト教徒イスラム教が混在するフィリピンのミンダナオ島みたいな雰囲気だった。


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