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ジェルバ島-シナゴーク [旅行-チュニジア]

少し書き込みをサボっていたら8月になってしまいました、私のチュニジア滞在もあと2ヶ月です。
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エルリアードの中心から10分くらい歩いてシナゴークの「ラ・グリパ」前に着きました。午後の開館の15時を過ぎていたのですが、警備の警官から、まだ開いていないので日陰で待っているように指示されました。しばらくすると数人のユダヤ人がシナゴークの中に入ってゆきました。我々は入り口の前で空港と同じような手荷物検査を受けて中に入るりました。2002年に爆破事件がおきて警備が厳しくなったそうです。この写真は入り口の反対側から写した写真です。バカンスの季節は観光バスが何台も来て賑わうそうですが、この日は静かでした。
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一枚目の写真の右側がシナゴークです。私は敬意を示すために麦わら帽子を脱いで中に入ったのですが、係りの人から帽子を被るように言われました。ユダヤ教は頭の天辺を見せてはいけないそうです。私はせっかくなので貸し出し用のスカルキャップを被って入室しました。中の装飾はタイル張りで珍しいと建築のSVが言っていたそうです。
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こちらのユダヤ人はトルコ帽を被っている人が多いです。数人のユダヤ教徒が経典を読んでいました。ちなみに2枚目の写真の人が帽子を被っていないので聞いたら、彼はモスリムだそうです。ここで働いている人はイスラム教徒なのです。
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ここが神聖な場所で奥のほうに嘆きの壁のようなものがあります。管理料で1DTを払うと絵葉書がもらえます。嘆きの壁の中には銀細工や紙で絵馬のように祈願をするそうです。巡礼大祭の時には銀細工の壁の下にある扉を開けて卵を入れて祝うそうです。世界で最も古いモーゼの書の一つとされているのは銀細工の壁の中にあるようです。
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このシナゴークは紀元前600年頃に建てられ、アフリカ大陸で一番古いそうです。昔はユダヤ人が多く住んでいたそうですが、イスラエルが建国されてからユダヤ人が減ったそうです。今はフームスークの片隅に700人位住んでいるそうです。この写真は一枚目の写真の左側で巡礼者向けの宿舎です。質素なのでツーリスティックゾーンのリゾートホテルに泊まる巡礼者も多いとか。
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ここからは普通見学できません。こちらからお願いをしなくても管理をしているチュニジア人が中に入ってよいと言ってくれました。案内をしてくれたジェルバ島在住の青年海外協力隊の人が何回も通って顔見知りになったため中に入ることができたのです。彼女は巡礼大祭の時もユダヤ人と一緒に中に入り、その時の様子をビデオで見せてくれました。ユダヤ人以外はユダヤ教徒になれないそうで、大変貴重な資料と思います。写真はブリックを売る場所で奥の部屋ではビールを売っていたそうです。ユダヤ教はイスラム教と違いお酒はいいのですね。そうそう、ユダヤ人街には美味しいブリック屋さんがあり、砂肝も美味しいそうです。今回行けなかったのは心残りです。
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これは巡礼大祭の時に市内をパレードするお神輿だそうです。ヘブライ文字は外国人がカタカナを書いたような感じですね。本番はスカーフで周りを飾るそうです。この時は警備が厳しくなり道路が通行止めになったり、上空にヘリコプターが旋回したり、曜日市も閉鎖になるそうです。シナゴークへ行く道中の脇にあった大きな植木鉢を使ってバリケードを作るそうです。青年海外協力隊の人とのおかげで西洋人も中を見学できたのでラッキーでしたね。
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この場所でバーベキューをするそうです。この日も暑かったのですが、ここでビールを飲みながらブリックと砂肝を食べるのは最高でしょうね。これからは平和な場所であってもらいたいです。
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ジェルバ島-シナゴークヘ行くまで [旅行-チュニジア]

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ツーリスティクゾーンからフォームスークへ向いました。ここは市内の魚市場です。魚に紐を通しているのと氷を使っていないのが、この市場の特徴です。気温は30度以上あります。腸炎ビブリオによる食中毒の危険性があるので、ジェルバの魚は十分に加熱をして食べた方がいいです。魚はジェルバの沖合いで獲ってきたようですが、数量は少なかったです。
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フォンドッグと言ってラクダなどのキャラバン隊が宿泊した場所です。ホテルになっているところもありましたが、ここは昔のままのようです。メディナの中なので隊商の人達は探すのが大変でなかったでしょうか?部屋の中を見せてくれたのですが、私は疲れたのでここで休んでいました。
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フォームスーク13:15発のバスでシナゴークのあるエルリアダへ。シナゴークは15時から開くそうなのでレストランでブリックを注文しました。我々が5名に後からフランス人が4名着たので、お店の人は隣近所に買出しに行っていました。材料があれば春巻きのように揚げるだけなのですが、ブリックが出きるまで30分以上かかったかな。待ち時間に軒の下を見ると小鳥が羽ばたいていますが、足が何かに引っかかっているようで飛べません。別のお店にハシゴがあったので引っかかっていたビニール紐を切ってあげ、無事に飛ぶことができました。

そうそう、若い人たちは北極星の探し方をわかっていませんでした。理科系の人がいなかったからかな?砂漠の夜空を見たことはありませんが、チュニジアで天の川を見たことがありません。砂を含んだ風なので視界が悪いのでしょうか?

シナゴーク本編へ続く
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ジェルバ島-ウミガメ [旅行-チュニジア]

パジノ(カジノ)前のレストランで20時頃腹ごしらえしました。このレストランには地球の歩き方に載っていた記事が飾ってありました。サラダ・メシュイーヤの味が普通のものと一味違い、隠し味が何かと悩み、ココナッツミルクかなと思いました。今回の旅のメインはウミガメの産卵を見ること。ジェルバ島で活動する青年海外協力隊の人が、ウミガメの産卵の昔の写真を見たことが発端でした。
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総勢9名の探検隊は21時頃タクシーで海賊船が向うフラモンローズ半島の道があるところまで行きました。満月の次の日なのですが、まだこの頃は月が昇っていませんでした。サッカーボールを蹴りながら海岸線を進むとウミガメの死体と遭遇です。これは産卵で力尽きたのかと、これからの道程に期待が持てました。
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しばらくすると月が昇ってきましたが、懐中電灯がないとウミガメは探しにくいです。ネットで調べるとウミガメは満月に多く産卵するや、新月に多く産卵するなど正反対のことがかかれています。新月は暗くウミガメを探せないと思い、満月を選びました。そして次に遭遇したのは鳥の死骸でした。
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1時間半ほど(2km)歩いたら開けた場所に出たので、ここで休憩をすることにしました。お菓子をつまみに、ロゼワインを2本空けました。朝から持ち歩いていたのですが、凍ったペットボトルと一緒にしていたのでまだ冷たく美味しかったです。この写真は何の実なのでしょうか?私はこのまま寝込んだのですが、0時頃、元気のある人たちは半島の先まで早歩きで海岸線を通り1時間半、帰りが4WDの後をたどって1時間10分だったそうです。3時頃、夜食のツナサンドイッチを食べながら話を聞いたら、この間ウミガメの死体を3体見つけたそうです。しかし産卵は見れなかったそうです。
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Tシャツ2枚に長袖シャツ1枚で野宿は風が強くて寒かったです。砂山の影に隠れて風に当たらないようにしていました。6時頃明るくなったので私も走って半島の先まで行くことにしました。私は4体のウミガメの死骸を発見しました。先発隊の話から一番最初の死体は見過ごしたようなので、半島の海岸線には昨日のカメを含めて計6体の死骸があったことになります。昨日の海賊が漁師はウミガメを見つけると殺してしまうと言っていました。この6体も殺されて海岸に打ち上げられたのでしょう。
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水平線から登る朝日を見ながら砂だらけの体で走り続け、45分(4.7km)で半島の先に着きました。しかしウミガメの上陸した跡はありませんでした。モペットに乗ってここまで着た釣り人が3名いました。徹夜で魚釣りをしていたのでしょうか?釣れた魚はスズキ1にSaupeと言う魚が3でした。
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帰りは4WDの轍の後をたどって戻ることにしました。はあ?小鳥が車に轢かれたらしいのですが、砂地なので形がそのままです。半島は波打ち際やいたるところに4WDやバギーのタイヤ跡がありました。夜中に4WDを乗り回していた人たちも。こんなところではウミガメも産卵に来ないですね。写真は良き昔の思い出です。
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半島から10分くらい戻ったところに海賊の基地?が有りました。木製の長椅子と長机やバーベキューセットがありました。番犬がいるか心配しましたが、吠えられませんでした。午後に本島からこちらを見たら海賊船がいっぱい停泊していました。
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私の影におびえたのか水鳥が飛び立ってゆきました。そして同じような入り江がいくつも有り少し迷いながら45分で本隊と会うことができました。海の向こうはジェルバ島の本島です。

私はこのままツーリステックゾーンのカフェでビールを飲むまで、休憩無しに3,4時間歩き(6km)続けました。途中で汗まみれのTシャツを脱いで歩いたらすごく気分が爽快でした。そしてホテルを横切って道路に出たら偶然にも昨日夕食を食べたレストランの前でした。

シナゴーク編へ続く
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ジェルバ島-ワニ [旅行-チュニジア]

チュニスからバスで8時間半かかりジェルバ島のミドゥンに着きました。料金は22.45DT。ケロアンの先の休憩所で会った別のSVはザルジス経由のバスで1時間遅れてミドゥンに着きました。途中、ホームスークのバスターミナルは2年間をかけて2週間前にオープンしたそうですが、そんなに新しく見えませんでした。
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翌朝、ジェルバ島の北側の半島へ行くために海賊船に乗る予定でしたが、天候が悪いため警察から出航許可が得られませんでした。料金はホテルで払うと40DTだそうですが、船だと15DTで顔見知りなら10DTになるとか。この日は土曜日だったのでシナゴークはお休みなのです。しばらくドクロの入ったお土産を見せてもらったり、マジックで刺青を書いてもらったりして時間を潰していました。
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夕方ツーリスティック・ゾーンにあるジェルバ・エクスプローラへワニを見に行きました。ここはジェルバ島の博物館や住居も展示されており12DTなのですが、協力隊の人が滞在許可証を見せたら9DTになりました。入り口にはワニの赤ちゃんが入っている水槽があります。目が大きいですね。
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ワニは体温調整をするために口を開けているそうです。汗腺の無い犬と同じですね。歯並びは個々によって違っていました。
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17時になると屋根のある池(冬の屋外はワニにとって寒いそうです)で黒人が太鼓をたたいて、ワニに餌の時間を知らせていました。ジェルバ島で音楽を職業にしている人はチュニジア人の黒人が多いそうです。確かにアラブの音楽じゃあ目が覚めないですね。
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餌は鶏でした。餌の上に灰色の粉がかかっていたので、栄養剤もまぶしてあるようです。
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鶏の骨を砕く音は刺激的でしたが、捕食行動は豪快さに欠けました。飽食気味なのか餌に見向きもしないワニや、餌を体で隠したり、口にくわえたままのワニがいました。人間が中に入ったらどうなるのでしょう??

街の様子はこちらへ→ http://gaki.blog.so-net.ne.jp/2007-11-29

ジェルバ島-ウミガメ編へ続く
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モナスティールバレー発表会2 [旅行-チュニジア]

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先週末に先月お世話になったSVのいるスースで5kmジョッギングをし海で泳いでからモナスティールへ行きました。バレーの発表会は30分遅れでスタート。チュニジアでは30分遅く始めるのが通例のようです。
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昨年は青年海外協力隊の人が2名いたのですが、今年は1人だったので大変だったでしょう。クラッシックバレーで後半はソロダンスだったので見ごたえがありました。
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チュニジアに来て始めて料金を安くしてもらったのでリゾートホテルに泊まりました。バレー発表会の前と日曜日のジョギングの後にプールで泳ぎホテルを満喫。これは宿泊した証拠写真です。

帰り道に国道1号線沿いのコウノトリ村(私が命名、チュニスから110km)では巣の中に雛が見えました。1年半もチュニジアにいるとコウノトリも珍しくなくなります。

昨年の発表会はこちらから
→ http://gaki.blog.so-net.ne.jp/2007-05-21
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ウティカ [旅行-チュニジア]

2日目はチュニスからイシュケウル国立公園、カップ・ブラン(アフリカ大陸最北端)を周ってウティカへ行きました。イシュケウル湖の水は確か冬4.5%で夏40%位?だったので過飽和状態です。南部の塩湖は確か37%と書いてありました。地中海の塩分が3.7%だそうです。普通の海水は3.2%位、飽和食塩水は26%位なので溶解度と同じ計算でもしたのかな??フランス語を理解できればいいのですが、怪しい数値です。水鳥も今回はいませんでした。ドライバーはカップ・ブランの付け根にある重罪を犯した人の入る刑務所脇を通ってビゼルト経由でウティカ(Utique)へ向いました。
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ウティカは紀元前1100頃にでき、カルタゴより300年ほど古いフェニキアの町です。当時はメジェルダ川の河口に面していたそうですが、今は海岸から離れています。ガイドによると当時の人口は35,000人と言っていました。大浴場や劇場もあるのですが、お昼までに空港へ行かなければならないので住居跡だけを見学しました。
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これは日時計だそうです。下の石は波状に加工されたプールで、私は良く分からなかったのですがガイドは亀が2匹いると言っていました。
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フェニキア、ローマ、ビサンチン時代のモザイクもあったのですが、大理石の床は初めてだったので写しました。当時はどっちが高価だったのでしょう?
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井戸の周りにロープの跡が残っています。井戸は大きくなく、現代のバケツ1杯しか入らない大きさです。プールや滝など水を使った施設が何箇所もあったので、水は豊富だったのでしょう。
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お墓もいっぱいありました。ガイドが壁際にあった部屋のドアを開けてくれたら、骸骨がありました。フェニキア時代のものです。ちなみにフェニキア人は埋葬されるとき股の上に手を置いたそうです。カルタゴ博物館には特徴が良く分かる骸骨があります。

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ドゥッガ2 [旅行-チュニジア]

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ジャンドーバからドゥッガへ向う途中に何ヶ所か赤いポピーの自生地がありました。そして見たことのない景色が現れ、車はどんどん登ってゆきます。標高は600mなのですね。前回は多分寝ていたので記憶になかったのでしょう。劇場から見る景色も初夏で麦の色が黄金色に色着きはじめていました。当時のドゥッガの人口は15,000人、劇場は3,500人収容できたそうです。
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劇場に向って左側のステージです。中央の立ての穴は台詞を忘れた役者に、台詞を教える穴だそうです。穴からの声は良く聞こえ、ステージの前方では聞こえにくくなっていました。
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キャピタルを横から見たのですが、手前の小さい石で積まれた壁がカルタゴ時代、大きい石で詰まれたのがローマ時代、小さい石に大きい石の柱があるのがビサンチン時代だそうです。キャピタルの手前の風の広場では床に風の名前が書いてあるのでお見逃しなく。
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手前の石の上面部には男女のシンボルが彫られています。もう少し下の方でも同様の石を発見しました。ブラレジヤやチュブルボ・マジュスでは男性だけでした。この矢印の先に売春宿があります。宿の入り口は中が見えないよう塀で仕切られていて、現代と同じような入り口になっています。でもね、このくらいの街ならどこに何があるかわかっているのじゃないかな。旅人向けの案内だったのでしょうか??
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これは遺跡の下の方に見える、リビコ・プュニック廟です。ローマ時代以前の建物だそうです。中の穴に何があるかストロボを点けて写真を写したのですが、鳥がビックリして逃げただけで、石の隙間だけでした。
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サボテンの黄色い花とアザミです。私はアザミを紫色の花のタンポポかなと思っていました。

そうそう、にっぽん丸がチュニスに寄港していて、ブラレジア、ドゥッガを同じ旅行会社のバスに乗って来ていました。チュニスは朝着いて、夜中の出向だったようで旅行会社のスタッフも大変だったようです。

冬のドゥッガの写真はこちらから
→ http://gaki.blog.so-net.ne.jp/2007-02-08

まだ、続きます。

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ブラ・レジア2 [旅行-チュニジア]

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先週末、15ヶ月ぶりにブラ・レジア、ドゥッガを訪問しました。ブラ・レジアはこんなふうに地下住居にあるモザイクが売り物です。いくつかの遺跡は扉が閉まったままや、一部だけロープがあって中へ入れなくなっていました。ちなみに以前のコメントで2007年3月にここで雪が降ったそうです。
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劇場の裏側の入り口です。ブラ・レジアの人口は7,000人で劇場は500人収容できたそうです。この遺跡の石は裏山から持ってきたそうです。また、今でも使っている井戸があるので水も十分だったようです。
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上の写真の人がいる辺りにある像です。支配者が変わると顔が変えられるように首の部分が窪んでいます。ちなみにローマ時代の像は鼻や男性のシンボルが折られているものが多いです。これは征服者がローマ人の象徴を破壊したためだそうです。
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ジャンドゥーバでのレストランでお昼を食べてドゥッガへ向う途中の写真です。今はチュニジアの町をイタリアのサーカス団が巡回しています。料金は高い席で確か15DTですが、娯楽の少ない地方では大盛況だそうです。

先回のブラ・レジアはこちらから
→ http://gaki.blog.so-net.ne.jp/2007-02-06

ドゥッガ2へ続きます。
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カルタゴ-カルティエ・マゴン [旅行-チュニジア]

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トフェから共同浴場に向う途中でカルティエ・マゴン(Quartier Magon)に寄り道をしました。ここは紀元前500年頃のカルタゴ時代の邸宅で、その後ローマ人が改築したそうです。入り口の右側にある建物の中に、石切り場の模型があり参考になりました。中央やや右の穴は井戸だそうです。
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当時の家もこのように地下にあったのでしょうか?マゴンは王様の名前ですが、ワインを造った学者もマゴンです。日本の鈴木さんや佐藤さんのような一般的な名前だったのでしょう。ここは時間がなければ見学に来なくてもよいと思います。
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これはおまけで、シディ・ブ・サイドにいた猫の親子です。子猫は生れたばかりかな?ガイドの説明によるとSidiはMrで、BouはBrother、Saidは名前です。だからサイドさんの兄弟って感じでしょう。今は人が多くなったので、名前だけになったと言っていました。ヨーロッパは「~の息子」って名前が多いですが、チュニジアも同じだったのですね。
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カルタゴ - トフェ2 [旅行-チュニジア]

日本から知人が来たので、チュニス近郊を案内しました。
バルドー美術館2 → http://gaki.blog.so-net.ne.jp/2007-12-30
と、カルタゴ-ビュルサの丘 → http://gaki.blog.so-net.ne.jp/2008-01-08
に写真を追加しました。今までは文章だけで分かりにくかったと思います。写真で少しはイメージしやすくなったと思います。
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カルタゴの子供たちの墓、トフェにも再び訪れました。前回は墓石が並んでいるだけでおもしろくないと思っていましたが、少し低くなっている奥にも墓がありました。こちらの方が雰囲気があっていい感じです。
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突き当りにはトンネルがありました。カルタゴの時代は穀物倉庫に使われていたらしいです。中の蒲鉾状の形はクサールと同じようです。亡くなった子供たちにお供え物でもしたのでしょうか??
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お墓の反対側にはポピーが咲いていました。日本で道路にある花壇に自生しているものがあるそうです。チュニスの今頃の季節は色々な花が咲いています。日本と同じような花も多くあり、春と秋の花が同時に咲いていると知人が言っていました。私は花の名前は聞いたことがあっても、実物と一致しません。

カルタゴ-トフェはこちらから→ http://gaki.blog.so-net.ne.jp/2007-12-31
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