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中欧の旅-ビルケナウ [旅行-ポーランド]

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アウシュヴィッツに3時間、急ぎ足でどうにか見学を終えました。もう一つの収容所ビルケナウまで車で10分弱の移動。駐車場には観光バスも多いので、クラクフ辺りからツアーがあるのでしょうか。早起きをして作ってもらったサンドイッチを食べてから車の外に。この日はあいにく雨、傘を持ってくるのを忘れたので男性人はフードで我慢です。
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上の写真のSS中央衛兵所から見た右側半分で、入場料はここも無料です。これだけでもビルケナウの広さが理解できるでしょう。ガイドブックにはブジェジンカと書いてあるが、友人たちもビルケナウと言っていたので外国には一般的な呼び名で無いようです。
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右側は板張りのバラック、左側はブロックでできていましたが、アウシュビッツとは比べ物にならないほどお粗末です。おそらく板張りのバラックは復元されたと思います。奥のほうではストーブの煙突だけが規則正しく並んでいました。
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トイレに座って見ましたが、私にはちょうど合っていました。左側が子供用ですが、この大きさでも痩せて中に落ちた人がいるでしょう。シンドーラーズ・リストで子供たちがこのトイレの中に隠れたの場面が印象的でした。
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左側のブロックにあるベットです。ここに藁を敷いて一段に5名が寝ていたそうです。各バラックの入り口にはユダヤ人でナチスに協力する人たちの個室?があります。アウシュヴィッツにも同様のベットが展示してありますが、こちらは実物なのでどんな環境で寝ていたかよく理解できました。
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広大な敷地にある各バラックは自由に出入りができます。ですから、いたるところに落書きがあります。世界遺産なのですから大切にして、後世に伝えないといけないですね。
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収容所内の引込み線の終わりで、シンドーラーズ・リストにも死の門が写っていました。線路の脇は凹んでいて逃げにくいようになっています。収容所に入所してから2日間で無くなっていった人たちで、幸せだった頃の写真が多く展示されています。ちなみに収容所の外側の線路は50m程で切れています。
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引込み線の終わりの両脇に破壊されたガス室があります。アウシュヴィッツの2倍以上の大きさです。大量虐殺の証拠を無くすためにナチスが爆破したそうですが、かえって残虐さが伝わってきます。
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ガス室のさらに奥にあるナチス政権下犠牲者の国際慰霊碑です。アウシュヴィッツの売店で3ZTで買ったガイドブックもこの写真で終わっています。

アウシュヴィッツからの帰り道編へ
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中欧の旅-アウシュヴィッツ [旅行-ポーランド]

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今回の旅行の目的は、ここアウシュヴィッツの見学でした。スロバキアの友人たちには現在の地名オシフィエンチム(Oswiecim)の方が通じました。メンバーは友人の主人、妹、従妹と私です。友人たちが住んでいるプリエヴィッザからアウシュヴィッツまで道のりで250Km弱なのですが、カーナビが付いているのに道に迷ったらしく4:30に出発して9:30頃着きました。ここは収容所の入り口の先で収容者たちがスムーズに行進して、人数を数えやすくするため音楽隊が行進曲を演奏していたそうです。そして「働けば自由になる」の文字のBが逆さまについています。収容者達の抵抗で逆さにした説があるそうですが、ナチスだって気付いていたはず。デザイン的にこちらがよかったからでしょうか??
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鉄条網の右側の建物がインフォメーションセンターで本やガイド用のヘッドフォンが借りられます。トイレもあるのですが確か1ZTでチュコのお金を再両替しました。レートは200KCで25.6ZT、安いか高いのかよくわかりません。網の左が収容所の中でキッチンです。収容所の入場料は無料です。
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収容所の展示室の中にはユダヤ人が持ち込んだカバン、メガネや靴などが山積みになって展示されていました。私はここの人たちのことを思うとシャッターが切れませんでした。この写真はたまたまガラスに反射して映った収容者の顔写真です。写真の額に花が飾られていたものもあります。ナチスは収容所を開設当初、一人一人の顔写真や各記録を取っていたようです。収容前は75kgあった女性がソ連軍に救出されたとき23kgだったそうです。
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天井に血が付いていると友人の主人が教えてくれました。彼は5回くらいここに来たそうで、収容所の中に何があるかよく知っています。他に部屋一面の藁や布団が敷き詰められた部屋がありました。木製の2段ベットがあったのですが1段で2名寝たそうです。各ブロックには静かにと看板があり、10歳の従妹は忠実に守り小声で話していました。そして、ほとんど撮影禁止なのですが写真を写す人も多っかったです。
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収容所の一番奥にある死の壁です。右の建物が死のブロックで人体実験や4人が詰められる立ち牢、脱走者の連帯責任の身代わりで餓死刑になった聖人マキシミリアノ・マリア・コルベの牢もありました。左側の壁には板が張ってあり収容者が見れないようになっています。この板に収容者が貼り付けになっている絵もありました。また、各国の展示ブロックがありスロバキアのブロックでは言葉がわかるので、彼女たちはゆっくり見学していました。
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銃殺の壁のアップです。ワカメのような壁の材質はわかりませんが軟らかかったです。壁の前には花が飾られ、穴の開いた所や気の隙間に石が詰められ、ユダヤの人たちが供養しているようです。
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鉄棒みたいに見えるのが点呼広場にある集団絞首台です。他に移動絞首台もありました。ここではみせしめのための死刑執行もあったそうです。この写真の左側には墓石で道路を舗装した展示室もありました。
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ガス室と焼却炉の入り口です。ガイドブックには1日に350人の死体が焼かれたと書いてあります。死のブロックの牢で毒ガスのチクロンBの効果が認められ、大量殺人に用いられていったそうです。
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ナチスが使用したプールです。ポーランドの南部ですが、夏のほんのわずかな時間しか使用されなかったと思います。収容ブロックからも当然見えたので、収容者の人たちはどんな気持ちで見ていたのでしょうか。あまりにも惨過ぎると思うのは私だけでしょうか。

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