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高校生国際協力体験視察の旅16 [フィリピン]

視察の旅写真館3 N.N(南魚沼郡)

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     ブラオン再定住地             ホームステイ先で

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    オロンガポビーチの夕焼け          ブラオン再定住地

※ 忙しくなるので、アップデートをお休みします。再開は4月の予定です。
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高校生国際協力体験視察の旅16 [フィリピン]

視察の旅写真館2 J.H(燕市)

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ホームステイ先で

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ホームステイ先で

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オロンガポビーチの夕焼け
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高校生国際協力体験視察の旅15 [フィリピン]

視察の旅写真館1 N.S(北魚沼郡)
高校生が写し送ってくれた、お気に入りの写真を掲載します。
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サンフェルナンド市内?

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ブラオン再定住地

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サコビアバンバン川で
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高校生国際協力体験視察の旅14 [フィリピン]

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帰国後弥彦駅で再開

フィリピンに行って A.A(中頚城郡) 

日本から飛行機で約4時間。あっという間にフィリピンの首都マニラに到着した。マニラを最初に見た感想は、凄いということだった。何が凄いかというと、想像以上の発展ぶりにだ。私はもう少し田舎のような感じだと勝手に思っていたが、大きな間違いだった。偏見を抱いていた自分が恥ずかしかった。それほどマニラは近代的で発展していたが、その影でストリートチルドレンや不法に居をかまえる人が達がいるのも事実だった。しかも、ここまで発展しているのはマニラだけらしく、他の市町村はマニラのようになっているわけでないという。一日目にして、私はフィリピンが抱える問題の一つである、貧富の差を目のあたりにした。なんともいえぬきもちになった。
二日目は、初めて直に、フィリピンの文化や習慣に触れることができた。だからずっと驚きの連続だった。更にこの日は、ホームステイが始まる日でもあった。ホームステイは、たった二泊しかなかったが、そんな短い期間にもかかわらず、ホストファミリーの人達は私達にとても親切にしてくれた。それがとても嬉しかった。英語力がなく、残念ながらあまり多くは話せなかったけど、フィリピンの人と身近に暮らすことができて、楽しかった。ホームステイをして思ったことは、国際交流というのは、案外簡単なことではないだろうかということだった。どこの国の人でも、みんな同じだから、言葉が通じなくても、きっと仲良くなるのは簡単なのだ。その気があれば。私はそう思う。
4日目、ホームステイ先の近くの学校を見に行った。高校の授業は先生と生徒の間の壁が薄く、日本の航行よりも自由でフレンドリーだと思った。フィリピンのそういうところが凄くいいと思う。小学校では大歓迎を受けた。小学生や先生方が歓迎会を開いてくれて、歌や踊りを披露してくれた。私達のために練習してきてくれたんだと思うと、嬉しさと感謝の気持ちでいっぱいになった。それから私達は、お礼の気持ちを込めて歌を歌い、小学校の人達と一緒に踊った。みんなで手を繋いで輪になって、本当に楽しかった。踊り終わった後は、何だか小学生達との距離が縮まったような気がした。歓迎会の後は小学生に囲まれて、サイン攻めにあったり、少し話をした。とても楽しくて心が温まる時間だった。しかし、このあとにはホストファミリーとの別れがまっていた。本当に短い間だったけれど、もしかしたらもう合えないかもしれないと思うと、やはり悲しかった。ホストファミリーの人達からは、貰ってばかりで何も返せ手いなかったと思うから、いつかまた、必ずフィリピンに行こうと思った。
5日目は、JICAとJOCVの人達の活動を視察した。途中、ピナツボ火山の泥流被害に遭って埋まってしまった町を見た。私達のホストファミリーが以前住んでいた町も見たが、同様だった。泥竜対策は今も行っている。こんなことがあったのに、それを私は知らなかった。恥ずかしかった。でも、フィリピンに来てちゃんと知ることができよかったと思う。これもこの視察の旅での成果の一つだ。
他にも、この旅がこんなに楽しいものになったのは、一緒に行ったみんなと関係者の方全員のお陰だ。本当にどうも有難うございました。
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高校生国際協力体験視察の旅13 [フィリピン]

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サコビアバンバン川を渡る幹線道路

フィリピンで感じたこと A.O(南魚沼郡)

7日間という、短い期間だったけれど、フィリピンでいろんなことを感じたりしました。
空港の外に出たとき、日本にはない暑さと変わったにおいがしました。そして空港に、たくさんの人がいて、驚きました。バスに乗り外を見ると無数の車、そして至る所に大統領の選挙のビラ、日本とはちがう様々な風景が目に入ってきました。
私はあまり食べ物のことは、心配していなかったけれど、フィリピンに着いてから、とても心配になってきました。いったい何をどんな風にして食べているのか。手を使って食べることに、最初はなんとなく抵抗を感じていたけれど、せっかく来たんだから、と思って手を使って食べました。食べていくうちに、スプーンやフォークを使って食べるより、手の方がだんだん食べやすくなってきました。そして、なんのいっても、フルーツがおいしかったと思います。日本では食べられないものがたくさんあって、うれしかったです。そして日本にいる時から、思っていたことで、バナナをたくさん食べようと思いました。日本ではほとんど皮をむいて食べてるけど、フィリピンでは、皮をむいて食べたのは一回だけ、それ以外すべて、焼いてあったり、佐藤がついてたりしました。バナナを食べた中で印象にここっているバナナが二つあります。一つは、高速道路に入る前に食べたバナナ。あれは、あんまりおいしくなかったけど、変なにおいがして、印象があります。二つ目はホームステイした時に食べた物で、家ノ前にバナナを輪切りにして売っている移動式のお店があって、それがおいしいから食べようと言われました。バナナに、ミートソースみたいな物をつけて食べるものでした。それを一口食べた時、口の中が火事になりそうでした。辛かったので、あまり食べなかったけれど、変わった食べ方だったけど、おいしかったです。
私がこの旅で一番つらかったのは、バスに乗っているとき、小さな子供がバスの近くに来て「MONEY, MONEY」と言ってくることでした。お金をあげたいけれど、彼らに悪い癖ができてしまうので、あげられません。同じ子供でも、貧富の差があり、すごく悲しいです。こんな差が無くなってほしいです。
私はこの旅で一番楽しみだったのがホームステイでした。私がステイした家には、お母さんと女の子の二人暮らしの家でした。二人とも、とても私にやさしくしてくれました。言葉の方は少し問題はあったけれど、なんとか会話をしましたが、まだまだ勉強をしなくちゃいけないな、と思いました。ステイした家の女の子と友達と仲良くなりました。そして私をいろんな所に連れてってくれました。行く先々でみんな私の名前を聞いてきて、すぐ仲良くなりました。私はタガログ語がしゃべれないので、みんなの話に入っていけなかったことが、一番心残りです。
フィリピンに行く前と行った後では、ずいぶん違うイメージになりました。どこが?と聞かれてもなんと答えていいのかわからないけど、変わりました。そして自分の考え方も、日本から離れて、少しは変わったと思います。そして裕福だからといっても決して幸せではないことが、わかりました。また、この旅で貴重な体験や学ぶことができて、とてもうれしく思います。この旅で不思議だったけど、勉強をしようと思いました。この思いを失うことなく一生懸命やっていこうと思います。そしていつかまた、フィリピンを訪れてみたいと思います。その時までには、英語も、タガログ語も、できるようになりたいです。
そして協力隊のOB・OGのみなさんにはとても感謝しています。迷惑をかけてすみませんでした。14人の友達、両親にも感謝しています。ありがとうございました。

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高校生国際協力体験視察の旅12 [フィリピン]

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東京駅で解散式

フィリピンで感じたこと T.I(南蒲原郡) 

フィリピン訪問によって私の想像している以上に世界は狭いものだと実感した。特にステイ先で子供たちがテレビゲームで遊んでいる姿や同年代の会話の内容は、日本とほとんど同じだった。
私の初めての外国の思いでは、フィリピン人と接することのできたホームステーだった。私は行く前から言葉をかなり心配していたが、全くその通りになった。私とステー先には幸運にも私と同い年位の女の子がいてその子とその子の友達と過ごしていたが、彼らも母国語が英語でない上に私の英語は単語だけでなかなか伝わらず、通じないと私が笑いながら頭をおさえて、アイムソリーと言うと、さっとタガログ語が登場した。その結果、二日間のステイ先での夢は、彼らがタガログ語で私に何かを言って私はうなされて目が覚めるものだった。しかし、みんなとの遊びは、言葉が通じないながらも、身振り手振りを使って意思を伝えることができて楽しかったし、フィリピンをもっとも感じることができた。
私はマニラの街を見たとき、この国が援助を受ける必要があるのかと疑った。高層ビルと舗装された道路。日本の都会とほとんど変わらない風景だった。しかし、一般道を外れると線路脇を我が家とする人々がいる一方、高い壁に囲まれ入り口には銃を持って警備にあたる人がいる地域にすむ人もいた。バスの中でも貧富の差を感じずには入れなかった。マニラほどでもないが、サンフェルナンドでもあった。シカシサンフェルナンド場合はピナツボ噴火によって以前の家に住めなくなり新しい家を建てるためにお金を貯めているそうだが、ピナツボ噴火から5年以上立っているのにまだ板を重ねるあわせただけでできている家に住んでいた。
ピナツボ噴火のすごさは近くで見るより遠くで見るほうがよくわかった。近くで見るとあまりにも範囲が広いのでピンとこないが、遠くからピナツボを見ると、緑の山の一部が白くなっていて見えいかに広い範囲で被害を被ったかがわかり自然の力の大きさを改めて感じた。
この視察の旅を通じてたくさんの出会いがあった。ステイ先では盛大な誕生日パーティーに行き、そこでさらに甘いフィリピン料理を食べたり、寝るとき上から虫が落ちてきたりと、日本では体験できない体験ができた。
スタッフのみなさんと、14人のメンバーのみんなのおかぜで、またますますフィリピンという国を知ることができたし、たくさんの笑いをふりまいてもらって最高に楽しい旅でした。また、皆さんとフィリピンに行きたい。
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高校生国際協力体験視察の旅11 [フィリピン]

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協力隊員の活動現場でII

フィリピンってどんな国 T.I(新潟市)

「フィリピンってどんな国。」これは、私がフィリピンへ視察に行くと決まった時思ったことです。
南国の国でバナナがおいしくて。良い事はこれしかうかんでこず発展途上国で貧しい国というイメージを強く感じたのを覚えています。最初は,フィリピンへに行くことが不安でした。日本とは、全く状況の異なる国へ行くのは初めてだったので想像がつきませんでした。でもフィリピンへの旅行が近づくにつれて、私の好奇心に不安が負けてしまい、フィリピンの事に関する色々な知識が身につき、普段は口にしない国際協力・交流という言葉を自然に発するようになっていました。国際交流や協力ってこんな風に第一歩を踏み出すのかと行く前から感心したりしていました。最初に感じた不安は、何処へやら。
フィリピンの首都マニラに着きその都市を見上げた時、ここはどこだろうと思い頭がくらくらしてきたことを思い出します。マニラは想像以上に大都会で、でも少し日本とは違ってでも自分の想像していたフィリピンでなくて、とても不思議な都市です。なんだかアメリカのどっかの都市へ来た気分でした。でもジプニーが走っていたりする所は、フィリピンです。それに他の国の大都会とは違いマニラほど明確に、貧富の差が表れている都市はないんじゃないかと思います。もしかしたらマニラは、一番フィリピンの状況が表れている場所なのかもしれません。大邸宅が並ぶ中、小さな壊れそうな家に住んでいる人達も大勢います。仕事を持ったお金持ちの人達がせかせか歩く中で、貧しいけれど心豊かな人達の笑い声が聞こえる都市。私はマニラという大都会で何か考えさせられました。
マニラを出るともう都市の面影はなく、一面畑と小さな家だけ。私達は、パンパンガ州の小さな村にホームステイをしました。そこは、ピナツボ火山の被害にあった人達の再定住地でした。私をやさしく迎えてくれすぐに私は、打ち解けることができました。
彼らは、比較的裕福な方でしたが決して困っている人達を見過ごさず、できる限り困っている人達を助けます。助け合っているのでしょう。友人や家族を大切にして毎日楽しく精一杯に生きています。日が暮れるまで家の前の道は、子供たちや近所の人達の活気ある笑い声で一杯です。子供達に、私の名前を教えると元気な声で私の名前を呼び一緒に遊んでくれます。初めは、少人数だったのがいつの間にか大勢になり、楽しそうに笑い合い遊んでいるのです。私も彼らと一緒に心から笑い楽しみました。
今回私は、フィリピンで言葉ではない国際交流や、人の心の豊かさ、子供達の素敵な笑顔、表情たくさんの事を感じ学びました。一週間という短い間だったけれど、私も彼らの仲間に入れたことを嬉しく思います。
日本のすぐ近くに、フィリピンのような素敵な国があります。色々な国があって色々な人達が住んでいるのです。世界に目を向けるという事は、とても素晴らしい事だと思います。私は、今回の旅行で改めて実感しました。フィリピンに行けて本当によかった。一生忘れられないでしょう。私は、彼らからたくさんの贈物をもらいました。
最後に、今私が「フィリピンてどんな国。」と聞かれたら、こたえきれないくらいの色々な事を話すでしょう。
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高校生国際協力体験視察の旅10 [フィリピン]

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ホームステー先で

フィリピンの旅で得たもの J.M(長岡市) 

今回のフィリピンの旅へ参加したのは、ただ海外へ出るためのきっかけがほしかっただけだったが、今はこの旅に参加できてとても幸せだったと思っている。私はフィリピンに行くまで、フィリピンと言うのは昔の日本というイメージがあったが、それはあっさりと打ち砕かれてしまった。マニラ市内はビルが立ち並び、車と人があふれ、私は面食らい頭の中が真っ白になってしまった。でもそれは、先入観を持たずにまわりを見ることができたので良かったと思う。
今回一番の思い出はホームステイ。Hさんと私の二人でお世話になったのだが、英語のほとんどできない私は周りの人にずいぶんと迷惑をかけたように思う。向こうが一生懸命伝えようとしているのにほとんど理解できなくて、自分の語学力のなさに本当にいやになったりもしたが、それでもみんな一生懸命意志を伝えようとしてくれたから、私も一生懸命になってみんなとコミュニケーションとることができ、意志を伝えることの喜びを知ることができた。
お世話になった家の周りには、多くの子供たちが住んでいて、私達はその子供達とものすごくよく遊んだ。子供達の目はすごく輝いていて、見ているとまるで心が洗われるような気がした。とても人なつっこくて、かわいかった。でも、子供はどんな国でも同じだよなとも感じた。道を歩いていても必ずだれかが手を振ったり「Hello」とか中には「こんにちは」ととか言ってみんなあいさつしてくれる。日本ではありえない光景だった。でも、知らない人でもあいさつすてもらえるというのはうれしいことだと知った。彼らには、どんなに国が発展しても、今持っている心の温かさを失ってほしくないと私は思った。異文化にふれて、私は多くの感動を得た。
この旅に参加したことで、目標ができた。一つは英語。今回の旅で国際語である英語を身につけることの重要さを実感した。少しでもいいから今よりも多く話せるようになりたい。人と話しができないのは本当につらいから。
二つ目は何かの資格を取り、その資格を生かして国際協力の手伝いができれば良いなと思っています。まだ、どんなことができるかはわからないけれど。
二つとも簡単にできるようなものではないし、そしてまわりの人にもその良さを伝えることができれば良いなと思っています。
次にみんなに会う時には胸を張っていられるようになりたい。
異国に家族と多くの友達を持つことができた私は本当に幸せものだと思います。
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高校生国際協力体験視察の旅9 [フィリピン]

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協力隊員の活動現場で

フィリピン S.N(新潟市)

初めて行った外国。フィリピンでは、いろいろな事があった。ただの旅行ではなく、フィリピンという国の生活、人など、いろいろな事に近づけた旅行だったと思う。それともう一点、初めての外国を肌で感じたと同時に、日本、とゆう国を客観視する機会でもあった。
フィリピンという国について、僕は二つの感想をった。簡単に分けてしまえば、都会と田舎の二つの感想である。
日本での外国人がどの様に扱われているかは、あまり気にした事もないので、分からない。だから、たいして比べられないのだが、フィリピンでの、外国人に対する関心の示し方には少し驚いた。バスに乗っているだけですごくこっちを見ている。その事について、マニラでは、少なくとも僕はあまりいい印象を持たなかった。珍しさ、といったものと、少し違った、なんというか、よそもの扱い、というか、そんな視線だった様に感じた。もちろん、気さくに手を振ってくれる人もいたのは、言うまでもない。
田舎というと失礼かもしれないが、僕らがホームステイをした、ブラオン再定住地の人達の視線は、あからさまに笑顔で、見ているというか、見られているこっちも、手を振りたくなってくる。そんな違いを感じた。
ホームステイでは僕のつたない英語に、向こうの人もとまどっていたであろうが、とても優しく接してくれた。もう少し家事などの手伝いもしたかったのだが、当然かもしれないが、止められてしまった。もう少し家族の様に接して欲しかった。当然かもしれないが、お客扱いだった事に歯がゆさを覚えた。僕らがホームステイをした家には、日頃から、あんあんに家に友人を集めて、小さなホームパーティーをしているのだろうか。友人といっても、それこそ親と子はどの年がはなれている人もいる。何というか、向こうの人の、友人に対する感覚のちがい、人柄を知った出来事だった。フィリピンへの旅行中、常に頭にあったのだが、彼らとすごしていると、母に良く聞いた昔の日本を思い浮かべずにいられない。近所づきあい等をみていて、そう感じた。フィリピンで感じた、僕が、とてもうらやましく思った感覚は、そういう友人とのつきあい、休日の平穏さ、みたいなものから感じたものだろう。そうゆう感覚は、今の日本では感じることができないのえはないか。
一週間のフィリピンへの滞在で、僕は、少なくとも、また来たい、それどころか、フィリピンに住みたい、といった考えまで持った。フィリピンの人は、きっと、馬鹿な事を言っている、と思うだろう。彼らの中には日本に来たくてもかなわない人たちがたくさんいるいし、きっと、日本や、アメリカ、といった先進国と呼ばれる国々の、便利で、清潔な生活を目標として、発展を願っているのだろう、そんな立場の日本人がそんな事を言うのは、日本の便利さ、など、彼らが望んでいる暮らしは、彼らがこれから手に入れていくものなんだろうと思う。一方、僕がとてもうらやましく思って、憧れている暮らしは、もうすでに日本が忘れてしまったものだと思う。昔の日本には、それがあったに違いない。
必ず、僕はまたフィリピンを訪れるつもりだ。その時が早く来る事を願っている。その時は、きっとフィリピンは今より発展しているだろう。その発展と同時に、僕が好きな、あの感じをうしなっていないで欲しいと思う。日本は、今、フィリピンに協力をしている立場だが、技術や、そういったものの発展の影に、失われるものがない様な協力を心から望んでいる。
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高校生国際協力体験視察の旅8 [フィリピン]

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ホームステイ先の子どもたちと

心の輪 J.H(燕市) 

国際協力と聞くと、私は皆で手をつなぎ、一つの輪をつくるというイメージを持つ。そんな私は、今年の春休みに青年海外協力隊の人達や高校生の仲間と一緒にフィリピンへ行ってきた。
私はほとんど英語が話せないままフィリピンへ行った。もちろんタガログ語なんてとんでもなかった。そんな私の所へ目を輝かせながら子供たちが近寄ってきて、一生懸命に問いかける。私が何を聞いているかわからず困っていると、子供たちにその場の雰囲気が伝わってしまい、子供たちは淋しそうな目をする。私はそんな子供たちの目を見るのが一番つらいかった。自分の大好きな人と会話ができないことがこんなにも苦しいものだとは思わなかった。この時、私は自分の勉強不足を痛感した。
ホームステイ先では、毎日子供たちと遊んでいた。私はフィリピンの子供たちに、日本の遊びを教えようと思い、「お寺のおしょうさん」の手遊びを教えた。子供たちは目を輝かせ、私の手をじっと見つめている。何度かくりかえしていると、子供たちも歌を口ずさみ、どんどん覚えてきた。私は子供たちの覚えの速さに驚いた。覚えたとたん、みんなからくすぐられ、子供たちは飛びはねながら体をけねらせていた。こんな風に楽しさや喜びをおもいっきり表現しているこどもたちは、私にとって愛らしい人でもあり、うらやましい人でもあった。
ホームステイ先の隣の家のおじさんが私に、昔のフィリピンと日本の話しをしてくださった。日本兵は何度もフィリピンの人々に頭をさげさせたこと。そして男女年齢問わずころしていったこと。殺された人の中には妊婦もいて、お腹にいる赤ちゃんと一緒に刺し殺されたこと。私は申し訳ない気持ちで一杯になり、ただずっと下を向いていた。しかし、そのおじさんは「今はフィリピンと日本は友達」と言ってくださった。その言葉を聞いたとき、私の心は温かくなった。
ホームステイの最後の別れの日の朝、私はホストファミリィーを見たとたんに涙がこぼれ落ちてきた。たった短い二日間だったかも知れないが、私にとっては、ずっと一緒にいた家族のようだったから。
私はせめて子供たちの前では泣かないようにと決めていた。私が車に乗ったとき、子供たちはニコニコしながら私をじっと見つめていた。その子供たちの中には私が日本へ帰ることを知らずに、またすぐ帰ってくると信じている子供もいる。そんなことを考えたら、また悲しくなった。一人の子が私の涙に気づいた。そうしたらその子は急に淋しそうな目をして唇をかんだ。私は今でもその子の顔を忘れられない。
フィリピンの小学校で交流会をした時のこと。その交流会では、生徒から先生まで学年別にいろんな歌やダンスを見せていただいた。どの学年の先生方も一生懸命私達のために演奏してくれる気持ちが伝わってきた。お礼に私達も日本の歌を歌った。最後の曲では、生徒や先生方もイスから立ち上がり、私達と一緒になって歌いなが大きな円をつくっておどった。私はすごく感動した。それは、お互いの国や年齢も違う男女が手をつなぎ、笑顔え歌ったりおどったりしている姿は、私の考える国際交流のイメージそのものだったからだ。
フィリピンでの一週間は、私を大きく変えた。自分がこんなにも多くの人を好きになれるとは思っても見なかった。
これからもたくさんの人達との出会いを大切にし、私の国際協力の輪を広げたいと強く思った。
最後に、フィリピンの子供たちの目はとてもキレイで輝いていた。

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