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両親への手紙7 [フィリピン]

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94.2.15
前略、今年の冬は例年になく雪が多い見たいですね。こちらは2月になって乾期に入りそんなに暑くもなくすごしやすくなりました。12月、1月は毎日雨と風であまり活動はしていませんでしたが2月には入り今は、みりん干しの指導で各村を廻っています。熱や下痢はデング熱以来まったくなく、フィリピンの風土に体がなじんだみたいです。春まであと1ヶ月元気で暮らしてください。早々
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両親への手紙6 [フィリピン]

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’93.12.
家からバイクで5分位の所です。今は佃煮を作っています。詳しくはクロスロード(青年海外協力隊機関紙)にいずれ載ると思います。
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両親への手紙5 [フィリピン]

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’93.11.14
前略、10月末にマニラに上京し定期健康診断をしてきました。結果はまだですが、8月以来元気です。カルレスは人(教養のある人)、物、金、のいずれもないので、今はエビとコウナゴの佃煮を作って漁民に紹介しています。エビの佃煮は食感もよく評価は高いです。いずれは地域特産物にするつもりです。またJICA(国際協力事業団、青年海外協力隊の上層部)の専門家から漁民指導教員に対する講義の依頼もあり忙しくなりそうです。イロイロ市にはJICAの別の専門家夫妻が住んでおり日本食を供してくれるのでありがたく思っています。早々
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両親への手紙4 [フィリピン]

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’93.9.
前略、手紙は10日くらいで日本からカルレス町に着ます。8月の中旬にデング熱になり4日間程寝ていましたが今は元気です。僕の同期7名の内、他に2名が同じ時期にデング熱になりましたが、いずれも重症ではなく入院もしていません。デング熱は流行中なのでフィリピンにはこないほうが良いでしょう。9月の中旬からバイク(50cc)を使うことができ活動範囲が広がります。これからこの地で佃煮を作っていこうと考えています。時間のある時はこの写真のような子供の写真を主に撮っています。よく撮れるカメラも少なくフィルムも高価のので写真をあげると喜ばれます。ではお元気で。
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両親への手紙3 [フィリピン]

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’93.7.22
書中お見舞い申し上げます。6/8付の手紙は受け取りましたが、その前の1通は行方不明です。前回送った住所はカルレス(現住所)の住所です。そのコピーを使用すればマニラでなくカルレスに直接届きます。ここはこの絵葉書のようなところです。手紙のアドバイスは以前から実行しているので心配しないで下さい。では、お元気で。
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両親への手紙2 [フィリピン]

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’93.5.28
前略、5月27日から任地に着きました。電話と水道がないですが、現地の人が沸かした水を飲んでいるので不便は感じません。魚やカニは新鮮なのでとてもおいしいです。語学訓練中下痢をしましたが、今は元気です。(皆いずれ下痢をするので心配はない。)現地の人々はとても親切です。僕は貴賓客扱いです。こちらに来て、イロイロ州知事、カルレス町長、警察署長等にあいさつをしました。皆協力的なので助かりました。マニラの協力隊事務所とは毎日無線で連絡を取るため治安も心配ありません。手紙は重要なもの意外は今回同封した住所をコピーしてそちらの方へ送って下さい。マニラへは年に4回位しか上京しないと思いますが、マニラよりカルレス(任地)の方が好きです。ではお元気で。 早々
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両親への手紙1 [フィリピン]

とりあえず、生きている証拠に気に入った写真か絵葉書に手紙を書いていました。
2年で16通、親不孝でしょうか。

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’93.4.12
無事にフィリピンに着きました。生活はそれほど不便ではありません。4/17~5/21まで現地語の訓練をし5/26にパナイ島の任地へ行く予定です。日本からの手紙は1ヶ月くらいはかかるそうです。ではお元気で。
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会社への手紙13 [フィリピン]

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クラブパラダイスの朝日

RISING SUN
1995-02-08

今は最後の追い込みで、任地の離島にあるHigh Schoolで食品科学の授業をしています。1月はマニラやセブにも行ったので自分の部屋で寝たのは7日しか無かったです。

さて、今回は以前書いた「炎熱商人」の続きとなる本を読んだので重要な部分を書き出します。

Rising Sun Michael Crichton ハヤカワ文庫。この本は昨年日本でも映画が上映されましたが、本のほうがずっと面白いです。今は英語版を読んでいます。
では本文から、
”この国に貸すことにしたんだよ、合衆国政府は毎年、予算不足に苦しんでいる。みずからの計画を実行するだけの資金が無いんだ。そこで日本が、赤字国債を引き受ける形で財源を提供する。われわれに投資しているわけだな。そして政府の約束と引き換えに、巨額の資金を貸しつける。では、ワシントンが、日本にした約束は何か。それはたとえば、財政の改善や国債の削減や教育の向上、基礎構造(インフラストラクチャー)の再建などだ。必要とあらば増税も辞さずにね。要するに、アメリカは自助努力をしますということさ。なぜなら、それがアメリカへの日本の投資を実のあるものにする、唯一の方法だからだ、「そうですかね」「ところが、アメリカはなにひとつ自助努力をしていない。財政はますます遍迫し、ドル安は進むいっぽうだ。いまやドルは1985年の半分の価値しかない」
                        ・・・中略・・・
通常なら、通貨の価値が半減すれば輸入品の価格は倍になるはずだ。ところが、日本人はビデオやコピー機械などの価格を大幅に下げてマーッケットシェアを維持した。覚えているだろう日本人にとってビジネスは戦争なんだ。要するにその処置は、アメリカの土地とアメリカの企業を、日本の企業にとって安い買い物にしてしまったのにすぎない。”

日本政府のODA(政府開発援助)も同様で、日本の国益となるよう使用されている。ODAのNo.1はインドネシア、これは天然資源が豊富なためと思う。フィリピンは恐らくNo.4これは隣の国なので安全保障の為でないかと思う。一見Give And Takeのように見えるが、彼らが自助努力をしない限り、日本はGiveだけに見える。しかし図太い日本は何処かで必ずTakeしているはずだ。結局開発途上国は自助努力をしないかぎり先進国の餌食になってしまうのでないだろうか?
フィリピン人は日本人は仕事を戦争だと思っていると言っても理解するのが難しいようだ。ビジネスマンは現地語でNegosiante=Negotiatorつまり交渉者なのである。企業戦士ではない。命を懸ける必要はないのである。地方では、仕事をしなくても豊かな食資源で贅沢(テレビ、冷蔵庫、扇風機等)をしなければ十分生活できる所が多い。そして「仕合せか」と聞くと彼らは「仕合せ」と答える。近頃それで良いのにと、ふと思うことがある。

次回は協力隊事務局から最終報告書が行きます。私は帰路変更で2週間ロンドン、パリへ行き社会復帰の準備をし日本へ帰ります。新潟へは、ゴールデンウィーク前、おそらく4月25日頃には健康診断も終わり帰れると思います。あと2ヶ月、スケジュールも詰まっているのであっと言う間に過ぎてしまいそうです。

では皆様によろしくお伝え下さい。

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会社への手紙12 [フィリピン]

※会社への手紙11はこちら
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天国に一番近い島ボラカイ

年末・年始
1995-01-11

新年あけましておめでとうございます私はあと3ヶ月で日本へかえらなくてはなりません。会社を休んでもう2年が過ぎました。早いものです。

さて、今回のテーマは「年始・年末」、昨年は台風で散々だったので今年は任地を脱出しました。
12月22日、久しぶりに大きな台風が有り、バナナやパパイヤの木がたおれ、停電が3日間ありました。おかげでクリスマスイブは静かに向かえることができました(例年はディスコ音楽を最高にして夜中流す。)。25日からは久しぶりにボラカイへ行きました。5月から11月まで風向きが逆でオフシーズンとなり店などもありあまり開いていないので、行かなかったのですが。今回の目的はPADIのAdovanced Open Water(スクーバダイビングのライセンス)を取るのが主な目的でした。ただのOpen Waterでは18mまでしか潜水できず色々制約がありましたが、Adovancedは30mまでNight Diveもできるので利点があります。料金はOpen Wateで$270、Adovancedで$180です。日本で取るよりずっと割安です。
メンバーは日本人1名(私)カナダ人2名国籍不明白人1名の計4名で最初は行いました。カナダ人は女性で1名は東洋型の顔なので、私もフィリピン人のインストラクターも日本人だと思っていました。しかし、英語があまりにも流暢過ぎるので帰国子女かとも思いました。それに日本語も少しは理解している。話を聞くと彼女は横浜で英語の先生をし、もう1人のカナダ人も愛知県で英語の先生をしているとのこと。東洋型の人は両親が香港から来たと言っていた。中学校の授業は英語だけで話すとか、「理解している」と聞いたら"Yes."と本当かな?と疑問ですが、しかし、カナダ人の英語は以前バンコクでも話したことがありますが理解し安いです。理解度はきちんとした英語を話すフィリピン人、カナダ人、イギリス人、ヨーロッパ人、アメリカ人の順でしょうか。私の英語もフィリピン訛りになっているのでしょう、講義はフィリピン英語なので良く理解できた。他の白人1名は私がウエイトのベルトの向きが逆だと注意したら、彼は『左利きなのでこれでよい」と私は「ほとんどの人が右利きだよ(緊急時、他の人からベルトをはずしてもらう時のルール)」と言ったが聞かなかった。後でインストラクターから注意されたのだろう正しく付けていた。しかし彼はヘタクソ。私は彼のお守りをずっとしていた。2日目以降はショップから断られたのか顔を見せなかった。その代わりアメリカ人の女性が入ってきた。彼女も日本語を理解している。彼女は秋田のミシガン大学かミネソタ大学の分校に在学中とか。Adovancedを取り次の日Deep Diveをしたら、わたしの班はイタリア人で横浜にある重工業会社に勤める人、国籍不明の女性で「西麻布に6年いた」と言っていたので大使館関係の人か?と一緒だった。日本人はOpen Waterを取っていた3人。教材は日本語なのだがインストラクターはスウェーデン人なので、少し疲労しているようだった。私が「ブーツは中に入れるんだよ」と日本語で言ったが彼らは何も反応しなかった。2回目にやっと入れたが、恐らく私を日本語のできるフィリピン人と思っていただろう。それ以降私も話さなかったが、彼らも話してこなかった。今回の教訓としてボラカイでは「日本語でも悪口は言えない」と言う事です。

12月31日マニラに上京し、ケーブルTVで日本の紅白歌合戦を見ていました。歌は15年~20年位前のも会ったので懐かしく観てました。しかし、私のいた所はマニラの高級住宅地(日本の成城)。夜の10時頃から爆竹が響き、さながら銃撃戦のようで「ドンドン」とダイナマイトも鳴っていました。部屋の中まで火薬の煙が立ち込めていました。ニュースによると20名位がこの日マニラで死んだそうです。年末はマニラに来ないほうが安全です。
マニラの上京は4月に帰路変更で日本へ帰る為の申請です。マニラ→パリ→(トランジェット)→ロンドン→パリ→マニラでエールフランスを使い$1371日本なら20万円位でないでしょうか。ちなみにマニラ→成田がノースウエストのビジネスで$511、格安チケットで$250時間があればフィリピンでStop Overしても料金はほとんど同じなのです。今までフィリピンからヨーロッパへ帰路変更で行った隊員が少なかったのか旅行代理店から「本当に行けるのですか」と確認の電話があった。治安が悪い国以外は何処でもOK(当時)なのですが、パスポートは公用旅券から一般旅券への切り替えが必要なのですが、私のパスポートは出国時に6ヶ月を切るのでフィリピンで新しく作る事になります。このパスポートは旧型(赤パス)と同じく写真を張りつけるのでコンピューター処理ができないと書いてあります。3月にはパスポートの申請でまたマニラに上京しなくてはなりません。
ではまた。(結局イギリスとフランス領事館で確認したら6ヶ月無くてもOKとの事でした。)
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会社への手紙10 [フィリピン]

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上司のジプニーと実家の前で

開発室への手紙
1994-11-22

前略、手紙と写真ありがとうございます。今、中学校で食品科学の授業をしているので、使わせてもらいます。色々とおめでたが有ったようですね。皆さんに「おめでとうございます」と伝えてください。久しく「使命」の二文字を思い出しました。高校の校歌とと大学の学歌にあったな~と。私のことは先入観を持たないほうが良いと思うので、来年の4月まで楽しみにして下さい。今、私のオフィス兼家は上司の電気料金未納のため、灯油ランプの生活です。まあ、停電よりあきらめがつくのでよいですが…。上司のドライバーが昨日交通事故で死亡しました。来年3月に日本へ行くと言っていたのに残念です。年末にかけて忙しくなると思いますが皆さん体に気をつけてください。私の任地はクリスマスソングがなっています。草々
P.S.差出人の住所にJAPANと書かなければ、どこの国かフィリピン人はわからない。書いてももどらないけど。
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