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セネガルの旅-旅行後記 [旅行-セネガル]

今回の旅は2008年1月17日から25日の9日間でした。しかし、飛行機の到着時間で実質的にセネガルにいたのは7日間でした。

最初に驚いたのは、貧困の格差は有りましたが思っていたより発展していたことです。セネガルは援助漬けと言うことを聞きました。また、JICAのクオリティが下がったとも聞きました。1月26日に福田首相はダボス会議でアフリカの開発についても講演していました。今後、アフリカに増額する日本のODAがどのように使われてゆくか注目する必要があると思います。先日、仕事先に訪ねてきた大学生らしき人に「アフリカでチュニジアが一番発展していると思っていると思うけど、10年したらセネガルに抜かれるかも」と言ってあげました。援助を自分たちの懐に入れるのでなく、どのように投資していくかが大切でないのでしょうか。

アフリカ各地からレスリングの強化合宿に来ていた女子レスラーが、チュニジアは楽しくないと言っていました。確かにセネガルはレストランの種類の多さや、楽しい音楽などあまり規制がないようですし、ホスピタリティも感じました。ダカールから北部のサン・ルイの幹線道路沿から見た限り、セネガルの人達の生活レベルは悪くないと思いました。フィリピンやタンザニアの地方と同じで、平和なら生活が安定してゆくと感じています。でも、プラスチックゴミのつけが、どのように影響してくるのか心配です。

2009年のダカールラリーは南アメリカで開催するとCNNのニュースで放送していました。また、来るつもりで、あえてラリーのゴールのラック・ローズへは行きませんでした。早く治安が安定して、ダカールラリーがアフリカに戻ることを祈っています。ラリーはアフリカの砂漠をレース場にするだけでなく、そのお礼として色々な支援活動もしていて、ラリードライバーの篠塚さんも学校を建てたりしているとダカールラリーのホームページに書いてあります。
http://www.paridaka-info.com/2008/DAK/presentation/us/r2_2-l-humanitaire.html

ケガをした猫は昨日のメールで元気だそうです。飼い主が日本に連れて帰るため、検査とかチップの埋め込みがあるようで里帰りはしていないそうですが。検査をしてチップを入れれば空港での検疫が短くなるそうです。フィリピンときは、2年間しか住まないのであえて動物は飼いませんでした。でも、近所の仲良しくた犬は、私が寂しがっているときに一緒にいて励ましてくれてるようでした。赤犬の一匹はマニラに400円で売られて、1年半で命を絶ち食べられたと思います。検疫が変わっていれば私も犬を飼っていたかもしれません。

早いもので、セネガルへ旅立って1ヶ月が過ぎます。毎日少しずつ旅を思い出しながら、ブログにアップするのも楽しかったです。次回の任国外旅行は?・・・お楽しみに!


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セネガルの旅-ピキン午後編 [旅行-セネガル]

お昼を食べてからバスでダカールに戻り、青年海外協力隊の方が住んでいるアパートへ行きました。アパートはセネガル政府から提供されているそうです。早く戻った理由は猫を獣医さんに見せるためです。この猫は彼女が拾い、他の隊員が飼っていたそうです。猫は右肩辺りから膿を出して、右足も膨れぐったりしていました。猫の飼い主は確かダカールから3時間位の所に住んでいるのですが、2回(1回は家の外から)空き巣に入られたそうです。どうしても猫を助けてあげたいと、ダカールに連れて来たそうです。フィリピンの時も空き巣に入られた隊員はいましたが、私は近所に人や中学生のボディガードが見張っていてくれたためかトタンと合板の部屋なのに被害はありませんでした。ラッキーだったのですね。
15時になったので大聖堂の近くにある獣医さんの病院へ行きました。昨日、4日分の治療費30000CFA(7500円)を支払ったそうです。受付の人が先生がもうすぐ来ると何回か言いながら、先生が来たのが16時頃でした。治療内容は抗生物質の注射と膿の出たリンパ管?の洗浄だそうです。洗浄は痛いようで、先生は猫に引っかかれて指から血を流していました。翌週お礼のメールをしたところ、「猫が元気に歩いている」と書いてあったので一安心です。

セネガル人からの夕食の招待はキャンセルになったので、この前行ったベトナム料理のハノイの向かいにあるフランス文化センター(Centre Culturel Francaise)へ行きました。中はレストランや野外劇場、お土産屋さんがあり、都会の中なのに落ち着く場所です。しかし、17時から韓国料理屋の斜め向かいにあるスポーツバーでハッピーアワーがあり、1000CFAで2杯飲めるとのこと。結局その時はサッカーのアフリカ・ネーションズ・カップで客が多いためかハッピーアワーはなし。また、フランス文化センターに戻って、生ビールがあったので注文したけど売れ切れで残念でした。いつもはフラッグを飲んでいたけど、今回はカステルというビールを1200CFAで飲みました。味はややマイルドなので、酒飲みにはフラッグがお勧めです。ガゼルと言うビールも飲んだけど、酸っぱい味がして美味しくなかったです。ダカールで見たサッカーの試合でチュニジアでも売っているトロントトロア(北緯、南緯33度の間って意味らしい)のCMを流していたけど見かけなかったです。
18:30頃、いつもの中華料理の主人が居たのでビックリされましたが、お店の中に入って行きました。隊員の彼女も良く食べに来るそうです。普段はおばさんが店を仕切っているそうで、主人は座っているだけとか。今は中国へ帰っているようです。料理は彼女がお勧めの胡瓜の温サラダ、ワタリ蟹(5000CFA)とビールで確か9500CFAでした。よく主人が「イリ」と言っていて意味が分からなかったのですが、彼女によると「イリヤ=Il y a(フランス語)=有る」と言ってるそうです。蟹は美味しいし、5匹位あったので二人で食べて正解でした。チュニスに戻ると、このレストランが懐かしいです。
帰りの飛行機が22:15発なので、20時少し前にタクシーを捕まえてもらい空港へ行きました。タクシーは彼女の交渉で、同じ方向へ行く人と乗り合わせて2500CFAで行けました。空港の出発の建物は3月上旬にあるイスラム国会議で新築になっていました。飛行機はチュニスエアーのTU614便で出発は23時頃になりました。乗客は70%位だったでしょうか。また、食べて寝るだけかと思っていたのですが、この機体には座席の後ろに画面が付いていたので映画や飛行情報を知ることができました。チュニスには翌日の4:30頃着きました。入国検査を受けたのは10名位で他はパリへの乗り換え客でした。エールフランスでダカールから直接行くより安いのですね。空港で少し時間をつぶし、5:02にタクシーを捕まえました。チュニスは21時から翌日の5時まで1.5倍の割増料金なのです。
無事にアパートへ戻って洗濯をし、仕事先へ向かいました。


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セネガルの旅-ピキン活動編 [旅行-セネガル]

昨日は一日早かったですが、フランス語のクラスでチョコレートを食べました。イスラムの国ですがフランスの影響があるのでしょう。4名のチュニジア人の若い女性がいるのですが、3名はフィアンセが決まっており、2名はフランス在住、1名はアルジェリアへ出張中だそうです。

ここはピキンの魚市場内にあるASFEMと言う、女性グループの建物で日本大使館の草の根援助で2004年9月に建てられた建物です。いただいたチラシによると2001年12月にこの協会を設立し、2002年4月に410名の貧困女性が再結集したと書いてあります。隣に別の女性グループの建物がありました。こちらは魚市場関係の人が設立したそうで、どこでも自分の身の回りを固めたいのだと思いました。

彼女が今回お世話になった青年海外協力隊の方です。このグループに派遣された何代目かの家政隊員で今年の3月下旬に2年間の任期が終わると言っていました。チュニジアでもサンダルを履く隊員はいますが、ビーチサンダルを履いて闊歩する隊員と会うのはフィリピン以来です。私も当時はそうでしたが・・・。彼女の逞しさを感じました。ここでフランス語を話せるセネガル人は3名。隊員の人は現地語のウオロフ語を話していました。自分の意思を明確に伝えたいためか、チュニジアの隊員がアラビア語を話す話法に似ていました。

これはレストランの壁です。この女性グループは魚市場で働く女性にチョッパーなどを購入するためのお金を貸したり、レストランを運営したり、水産加工品を作ったり、識字教育をしています。お金を管理する人が少なかったり、先生が来なかったりとどこでも同じような問題を抱えています。

彼女はグループの中でも意欲的に活動する人で、教えてもらったエビの天ぷらを作っていました。小エビ20匹位の天ぷらが400CFAでした。隊員の人はフランスパンに挟んで食べていました。味はチュニスの日本食レストランで出る天ぷらよりずっと美味しかったです。現在、利益が出るかテスト中だそうです。その他に彼女はこのグループからお金を借りてバーベキューを作るブロック塀を作っていました。

お昼に食べたチュブジュン(白)の具材です。あとでお米を入れるとか。チラシに書いてある日替わりメニューを見ると、チュブジュンは魚ご飯と意味で白と赤があります。価格は他の料理も400CFAです。ダカールのレストランの1/5位だと思います。セネガル人はピーナッツオイルを多く入れた料理が好きだそうです。この料理はオイルも少なく、チュブジュン(白)は日本人の口に合うそうです。私は不味くはなかったですが、少し油ぽかったので食べるのに時間がかかりました。

ここでは毎週水?、木曜日に魚の燻製や練り製品を作って販売しています。今週は注文が少なかったので加工は止めたそうです。お客はダカール在住の日本人で、注文を受けタクシーでJICAセネガル事務所へ持ち込むといっていました。価格はエビ燻製1000CFA/70g、アジ燻製500CFA/100g、魚の春巻き650CFA/5個、あじだんご650CFA/10個などです。薫製品はこの網で塩をつけたあとに干してから、ブロックでできた燻製釜に約3時間入れた後、真空パックにしてラベルを貼って出来上がりだそうです。燻製に使うチップは材木屋さんからもらってくるそうなので、そのつど風味が違いそうです。

冷蔵庫の中には春巻きがありました。セネガルではNemと言って人気があるそうです。パンフレットには「どの商品も新鮮な魚を使用し、保存料、添加物など一切使用していません」と書いてあります。ダカールに住むことになったら購入しそうです。

セネガル人には珍しく、彼から写真を写してくれと言われました。少しピンボケでごめんなさい。後ろが識字教育に使っている黒板です。今は九九を習っていました。私は小学校2年生の3学期に覚えさせられましたが、仕組みを覚えるのはこっちの方が楽ですね。今は電卓しか使わないし・・・。小学生の私はなぜ暗記しなければいけないのか意味が分からず、最後まで居残りをさせられました。学習時間は確か月、火、金曜の13時から。授業は先生が来ないそうで、進んでいないようです。

ピキン午後編へ続きます。


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セネガルの旅-ピキン魚市場 [旅行-セネガル]


今回の3っ目の目的はダカール近郊のピキン(Pikine)魚市場見学でした。毎週木曜日にそこの女性グループが水産物加工販売をしているとのことだったので、セネガル滞在最終日に訪れることにしました。女性グループで活動している青年海外協力隊の人とホテルに8:15に待ち合わせて、バスで魚市場へ向かいました。バス料金は175CFAで45分ほど乗っていたでしょうか。バス料金受け取る車掌さんが檻の中で仕事をしているのが印象的でした。私のバックパックも檻の中に置かせてもらいました。ここの隣に新しいセットプラスとバスの駅ができるそうです。そうすると市内からタクシーで2000CFA位かかるでしょう。

日本の無償資金援助で建てられた魚市場です。大きな屋根の中ではバラクーダ、メロー、鯛、ニシンのようなイワシ(と言っていたので)、サバ、カツオなどが売られていました。大西洋なので日本近海や地中海と違い始めて見る魚も多かったです。しかし鮮度の良い魚は少なかったです。私が市場内を歩いていると後ろから黒いビニール袋を持ちながら着いてくる少年がいました。見ているだけなんだけどなー。

魚市場の空き地に加工品売り場が新しく造られていました。塩漬けの魚、貝の干物やパームオイルなどどの店も同じような商品を売っていて差別化がなく、時間帯もあるかも知れませんがお客がいませんでした。お店の人に声を掛けられたので売る気が有るようなのですが、もっと工夫が必要です。販売の経験がないので、どうしてよいのやらアドバイスができませんでした。

魚市場では鉈で魚を下ろしてくれます。そして、女性グループからお金を借りてチョッパーを買い、ミンチにしていた人達もいました。そして残ったのが魚の頭や骨です。

魚のゴミを集めていたので、肥料にでもしているのでしょうか?有効利用をしてもらいたいです。

さすがにペリカンはいませんでしたがシロサギやハゲタカ?も魚を目当てに集まってきていました。でも、やっぱりプラスチックゴミが目立ちますね。

魚を食べてお腹が一杯なのでしょうか、犬の姿が可愛かったのでアップしておきます。

ピキン活動編へ続きます。


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セネガルの旅-水曜日 [旅行-セネガル]


まだ薄暗い7時に朝食を取り、ホテルを8時にチェックアウト。念のため駅までのタクシー代を聞いたら、サン・ルイ市内は500CFAだそうです。ホテルの前にピースコー(アメリカの青年海外協力隊)の車があったので、朝食を食べていたときに英語を話していた人がスタッフかな。セネガル人からの信望も厚そうでした。
タクシーは500CFAでOK。1000CFA札を出したらきちんとおつりをくれたので、100CFAチップであげました。セットプラスは5000CFAと言われましたが、4800CFAでOK。ダカールの郊外で交通渋滞になりましたが、こちらの人はチュニジアと大違いで、無理な割り込みもせず交通ルールを守っていました。
ダカールのホテルに戻ったのが13時頃、それから少し休んで14:30に先日会えなかったセネガル人の事務所に電話をしました。彼は世界銀行から支援を受けて環境プロジェクトのNGOを運営しています。ちょうど世界銀行の人が5名くらい着ていて、忙しいのに時間を割いて合いに来てくれました。青年海外協力隊の駒ヶ根訓練所でフランス語を教えていたセネガル人の大学時代の恩師で生物学が専門だそうです。彼は20年ほど前に日本へ留学していたので日本語はペラペラでした。1時間ほどホテルのバーでコヒーを飲みながら話し、携帯電話の番号をメールアドレスを交換して、明日出張がなければ自宅の夕食に招待してれると言って仕事に戻っていきました。とてもサービス精神のある方でした。
まだ、日没まで時間があったので月曜日に行けなかった博物館へ行きました。・・・が閉まっています。時間は16:30頃、Lonely planetには閉館時間は17:30と書いてあるのに。ガードマンに聞いたら、裏口から通してくれました。ここでいいかと聞かれ2200CFAを支払い見ることができました。館内は私だけ、2階が民族衣装の展示でホコリをかぶった秋田のナマハゲみたいな人形が多くありました。セネガルだけでなく西アフリカのコレクションでした。3階は木彫りの展示室なのですが、電気がついていないので薄暗く何が書いてあるかわかりませんでした。もともとフランス語だと思うからわからないのは同じか(^^♪。木彫りは各部のバランスが悪いですが、それがかえってアフリカ人のセンスの良さを感じさせてくれました。さて、そろそろ出ようと思い裏口へ行ったら鍵が閉まっていて出られません。そういえば、ガードマンが正面の入り口をいじっていたことを思い出し、無事に館外へ出られました。ガードマンにありがとうと言って急ぎ足でホテルに戻りました。
今日はサッカーのアフリカ・ネーションズ・カップのセネガルとチュニジア戦です。ホテルの前のレストランでは窓の外から観戦しているセネガル人がいました。どこもサッカー好きですね。試合は私がテレビをつけた時にすでにチュニジアが1点入れていました。しかし、チュニジアはシュミレーションと言ってわざと転んだふりをし、ペナルティーキックを取ろうとして2名イエローカードをもらいました。そのよく見ていた審判はなんと日本人だったのです。試合は結局2対2で引き分けでした。アフリカの国同士の試合はミドルシュートが決まるので結構面白いです。
夕食はいつもの中華料理屋さん。今日は餃子があるいって言ってたのでそれと麻婆味の牛肉にビール2本。7500CFA位だったかな。お昼を食べていなかったので、焼き餃子10個はすぐ食べました。蒸した餃子は2000CFA,焼いた餃子は日本人お足元を見て3000CFAでした。今日のお客は中国人2グループとこの前いた韓国人でした。結構はやっているので安心しました。いつも働かない2名のお姉さんたちは、それぞれ話し相手になっていました。


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セネガルの旅-サンルイ動植物編 [旅行-セネガル]


うちわサボテンの花だと思いますが、チュニジアと同じ種類か分かりません。チュニジアではFigue Berber(ベルベル人のイチジク)と言って(別に言い方もあります)、うちわサボテンの実を11月頃食べることができます。味は甘くないイチジクかな。多分ソルビトールが多そうなので、プルーンと同じく多く食べると下痢をすると思います。小さいとげがあるので注意して剥くか、売っている人に向いてもらうと良いです。

サン・ルイの半島で写したヤギと大西洋です。波が高いでしょ。ヤギはサン・ルイのどこにでもいてゴミを食べています。紙も食べていたのですが、臭いで美味しいか不味いか見極めているようです。好物はトイレットペーパーの芯でした。フィリピンのヤギは人間をすごく警戒していたのですが、セネガルのヤギはさほど警戒していません。サン・ルイの往復で車に轢かれたヤギも1匹見ました。さすがにヤギはプラスチックゴミを食べません。10年ぶりに言ったフィリピンでもチュニジアでもプラスチックゴミが目立ったのですが、セネガルはすごい量です。黒マグロは小さいプラスチック片を食べて死ぬことがあるそうです。マグロの獲り過ぎだけでなく、こんなことも影響しているのでないでしょうか。セネガルでプラスチックを野焼きしている場所も見かけましたが、塩化ビニルのでダイオキシンの汚染がないか心配でした。話に聞くとどこかの国の援助で焼却場を作る計画があるそうです。数千年後にはプラスチックが考古学の対象になるのでしょうか??

私はこの光景を見て、人間を恐れる気配も無く一瞬目が点になりました。半島の馬車の交通妨害をしていた場所でペリカンが魚を食べているのです。足に足輪をしていたので登録されているペリカンのようでした。サン・ルイの半島の25km先にParc National de la Langue de Barbarie と言ってペリカンが見れる国立公園があるのですが、まさかここで遭遇するとは思っていませんでした。

アオサギでしょうか?中州の最南端のホテルの前にいました。魚が多いから水鳥も多いのですね。波打ち際や海にもプラスチックゴミが目立ちますね。

久しぶりにヤモリを見つけました。彼はここが定位置のようで、いつもドアを開けると逃げてゆきますがまた戻ってきます。ここから虫が入ってくるのでしょうか?ホテルの部屋の調度品は高級とはいえませんが、どことなく可愛かったです。


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セネガルの旅-サンルイ観光後編 [旅行-セネガル]


サン・ルイの街で一番気に入った色の建物です。黄色の剥げ具合にコバルトグリーンのアクセントがセネガルって感じさせてくれます。表を見たらKeur Fallと言うお土産屋さんなのですが、昼頃だったのかお店は閉まっていました。

ダカールの家は日本と同じブロックでできていましたが、サン・ルイの旧市街の家の壁はレンガでできています。世界遺産だそうですが、建物を保存することや景観を良くすることにはあまり意識していないようです。

中央の道を北側に向かって行くと広い道になり、その少し先にフランス領事館がありました。手前のモスクではおじさんがコーランのお祈りをマイクで放送していました。この光景はチュニジアで見たことがないので写真を何気なく撮ろうとしたら、終わってしまいました。領事館の先にはJean Mermozの名前の入った学校がありました。

ここは中州の北側の端です。中州の長さは2km弱位です。13:30頃なので写真の右側に写っているPoint Nordで昼食を食べました。今日の料理はこれだけと言われて出されたのが、ハヤシライスのようなもの。名前は忘れましたが美味しかったです。そしてハイビスカスのジュース、ビサップを頼みました。ルビー色の少し独特の香りがするジュースで美味しいです。この色がPHで変化するかテストしたかったのですがここでは無理ですね。料理が1300CFAでジュースが500CFAでした。ダカールのホテルでビサップは1500CFA(ビールは1000CFA)もして高いと思いましたが、ホテルのバーで飲むのは外国人しかいませんよね。少ししたらフランス人らしき軍人が2名入ってきて、白っぽいジュースを飲みながらテレビを見ていました。

ハエにまみれながら魚をさばいているおばさんを少し見てから中州の中心へ戻り、今度は一番外側の半島へ行きました。風の強さの割には波が高いと感じました。私はサーフィンをやりませんが、良いポイントかもしれません。浜は良い砂質でした。波の写っている写真は次回載せます。ここから北に5kmほど行くとモーリタニアの国境になります。

前の写真で写っていた西洋人はそれから中州へ戻っていったのですが、私は南に向かいました。道は砂地で歩きにくく馬車が来ても音がしないので、交通妨害をしていたようです。魔よけでしょうか??家の入り口には色と黒のマントをした人の絵が描かれていました。魚が獲れるので街が潤っているのでしょう、子供たちも多く活気がありました。写真は小路の隅からズームを使って人々の生活を写しました。さらに奥に行くと日本の援助で作った冷凍庫があったそうですが、その時は知らなかったので途中で引き返しました。サン・ルイにも青年海外協力隊の人が活動しているそうで、連絡を取らなかったのは失敗でした。

夕食は中州のやや北側にあるCoup de Torchon。オナーはフランス人らしく、カウンターで酒を飲んでいる西洋人がいました。サラダとカジキ料理のセットメニューで5000CFA。ソースはやっぱり柑橘系で美味しかったのです。お勧めのアイスクリームのデザート3000CFAを薦められ食べたのですが、アイスにチョコレートソースが掛けてあるくらいで値段ほどの価値はありませんでした。あとビールを2本頼んで総計10000CFAでした。デザートが良くなかったのでチップはなし。パリのレストランではチップを払わなくなっていると言ってたので、ここも売り上げ金額重視で期待していなかったかもしれません。

サン・ルイ動植物編へ続きます。


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セネガルの旅-サンルイ観光前編 [旅行-セネガル]

まだ暗い、朝7時にホテルの朝食を取る。メニューはいつも同じで、パン2個、ジャム、チーズ、オレンジジュースにカフェオレ。パンが大きいのでお腹は満足する。特筆はコーヒーが旨い!チュニジアのコーヒーは不味いので砂糖を入れて飲むか、インスタントの方が美味しいので自宅ではそっちを飲んでいます。普段は屋上で朝食を取れるので、鳥のさえずりを聞きながら食べていました。
ホテルのチャックアウトをして、荷物があったので近くでタクシーと交渉。「ガーラ・ポンピエまでいくら?」、「1500CFA」、「1000CFAでだめ?」、「1300CFA」と言われ別のタクシーにしようとしたら乗れと言われ1000CFAでOKでした。
今度はガーラ・ポンピエでセット・プラスの人とホテルとLonely planetで仕入れた情報を元に交渉。「サン・ルイまでいくら」、「4800CFA」、「え、料金が3500CFAで荷物が500CFAなので4000CFAじゃないの??」。この交渉は結構譲られず、「4300CFA」と言われて5000CFAを出したら200CFAしかくれない。荷物代が500CFAだって。その後聞いたり見たりしたこことでは、物価高とガソリン高でこの料金は正しかったです。ただ、帰りのセット・プラスでセネガル人は5000CFAを出しておつりを600CFAもらっていたので、荷物代は100CFAかな。
先にフランス人らしき人が3人乗っていたので、ガーラ・ポンピエを7:50に発つことができました。ダカールから70kmほど先のチェス(Thies)に友人がいたので興味があったのですが、郊外を迂回してそれから北進しました。舗装されたまっすぐな道なので揺れはありませんでしたが、最後部座席は狭いので少し窮屈でした。植物は北に進むにつれ、色々な植物、ヤシ、バオバブとオリーブ、アカシア、低木と変わりました。動物はヒツジはいなく、ウシの放牧からヤギの放し飼いになります。砂を含んだ風なので遠景は見ることはできませんでしたが、家の周りに塀垣が作られており、藁でできた家にも家畜でなく人が住んでいるようです。気になったのはプラスチックゴミだらけだったことです。この件は後で。こんな感じで270kmの移動は4時間で終わりました。スピードは行きも帰りもメーターが壊れていたので感覚ですが100km/hと思います。ドライバーは途中何回か停車してチケットみたいなのをもらっていました。
セット・プラスの駅はサン・ルイの郊外であるのでまた交渉。近くにいた軍人に聞いたら中州まで1000CFA(Lonely planetは500CFA)と言われたので、一回で交渉成立。そうしたら、先ほどのフランス人が一緒に行かないかと話しかけてきたので、了解しました。でも料金は2000CFAだって。私は「これは普通のタクシーでしょ!どうして高くなるの??」と言ったのですが、フランス人は別にどうでもいいようで私も半額になるし、それ以上言いませんでした。

サン・ルイ(Saint-Louis)はダカールの前の首都で、セネガル川の河口にあります。街の構造は面白く、本土、中洲と半島に分かれ多分中州だけと思いますが世界遺産になっています。この橋は本土と中州を結ぶPont Faidherbeです。橋は鉄板が敷き詰められており、近くへ行くとパタパタした音が聞こえうるさかったです。どこかで可動橋だったと書いてあったので、そのためでしょうか?

フランス人は中州の北側、私は南側のホテルだったので橋の袂にある郵便局前で降りました。彼らに何日いるのと聞いたら、気分で決めるといっていました。ホテルの横はモスクかと思いましたが、子供たちがコーランを覚えていたので神学校らしかったです。

ホテルの屋上から中州から半島を眺めると、漁船が多く停泊していました。半島側は古都と言うより漁師街と言う感じです。

中州の南端で水揚げをしていました。刺し網だと思いますが目が粗そうでした。

ホテルで少し休んでから、中州の観光をしました。ここは郵便局の向かいにある、Hotel de la Poste。サン・ルイからパリへ向かう郵便パイロットが宿泊したホテルです。Jean Mermozってヒローが住んでいたらしいけど、知らないですよね。(←彼はアンデスの山越え、南太平洋横断、初の夜間飛行をした空の英雄だそうです)星の王子様はサン・テグジュペリがここで郵便パイロットをしていた時に書いたそうですが、彼の足跡は見つけられませんでした。ダカールラリーの次の目的だったのですが・・・。(←英語版Wikipediaで「ニューヨークのロングアイランドで書かれた」と書いてありました。フランスのトゥーズール⇔モロッコのカサブランカ⇔ダカール間の郵便飛行した経験を他の小説にしたそうです)

家並みはゴレ島のほうが良いかな。思っていたより観光客は少ないと感じました。観光用の馬車がありましたが、みな暇そうに客を待っていました。

後編へ続く




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セネガルの旅-月曜日 [旅行-セネガル]

ゴレ島の奴隷の館は月曜日が休みとLonely planetに書いてあったのですが、ダカール市内にあるIFAN Museumは休館日が書いてなかったので、行ってみました。中に入ると庭師がいたのですが、話しかけると指を指して、裏へ行くようにと。いやな予感がしましたがガードマンに聞いたら、やっぱりお休みでした。

それで直ぐに予定を変えて、明日サン・ルイ(Saint-Louis)へ行く、セット・プラス(7人乗り合いタクシー)乗り場のあるガーラ・ポンピエ(Gare pompiers)に行くことにしました。道は一本で金曜日のお祈り帰りで賑わっていた道を下って行きます。途中の道は露天商やバナバナ(物売り)が多く、終わりのほうは自動車工場が多くありました。最後に道を少し間違えましたが40分くらい歩いて着きました。ちなみにポンピエとは消防士のことです。駅の手前に消防署か学校がありました。
駅の中は人と車で一杯です。消防署の道から駅に行くとミニバスの駅でした。大通り側がセット・プラス(Sept place)の駅です。こちらは行き先の看板があるので、自分の乗る車を見つけることができます。うろちょろしていたら「サン・ルイに行くのか」と聞かれたので、「明日の朝」と言って帰ってきました。そんな訳で今日の写真はありません。

お昼はセネガル人に進められたセネガルレストラン。何がおいしいのか分からなく、お店の人が黒板に書かれている一番上のを指したので、それにしました。名前はG・・・です。チャーハンみたいなのに鶏肉が上がっていました。味はまずくはないですが、少し甘すっぱくて脂っこかったです。私は後で唐辛子のペーストが出てきたので、それを混ぜながら食べていました。料金は2000CFAでアジア料理に比べて安いと思いましたが、庶民の食事にしては高いと思いました。ひょっとして、その後にお茶か何かがついたのかも??

夕方はセネガル人と会う約束をしていたのですが、忙しくてキャンセルの電話が秘書らしき人からありました。フランス語で話されるので初めは意味が取れなかったのですが、サン・ルイから帰ってきたら電話をかけて欲しいとのことでした。

夕ご飯はハノイと言うベトナムレストラン。7:30頃行ったら客は私だけでしたが、しばらくするとJICA関係の男性と青年海外協力隊らしき女性2名が入って来ました。メニューはレモングラスの入った豚肉とビーフンにビールで8000CFA位だったと思います。ネットでは鍋が食べられると書いてあったのですが、2人前で(一人前8500CFAだったかな)からでした。料理は豚肉の味がして美味しかったのですが、レモングラスでなく長ネギが入っていました。ビーフンはただ茹でたのが出てきたので、ニョクマムをつけて少ししょっぱかったのですが食べました。ボーイは働かないのですが、フランス人らしい女将さんは韓国レストランと同じく、挨拶に来てくれたりして心配してくれました。

そうそう、夜は毎回、天頂にあるオリオン座を見ることができました。緯度がフィリピンと同じなのです。


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セネガルの旅-ダイビングショップ [旅行-セネガル]

金曜日の午後に行った、ダイビングショップの話を飛ばしていました。

大統領官邸の裏にOceaniumと言うダイビングショップがダカールにあります。ネットで調べると他に空港の先のリゾートや、ダカールから南へ80km先のSalyにもあるようです。

入り口の近くにいたセネガル人のダイビングの話を聞きたいと言ったら、彼を案内してくれました。名前は忘れましたが、英語も少し話します。私はフランス語の電子辞書を片手に色々聞いてきました。ウミウシはいるのと聞いたら、彼のお父さんの名前がついたウミウシがいるそうです。写真を見せてもらったら、アオウミウシのようですが・・・。

ダイビングは1月でも土日に3名集まればやるそうです。価格は1ボートダイブで20000CFA(5000円)で機材があれば16000CFAでした。機材が見たいと言ったら、鍵のかかっている別棟に案内してくれました。ハーフスーツから5mmのフード付ダブルがありましたが、ドライスーツはありませんでした。

ポイントはゴレ島の辺りだそうです。今は水温18℃で冷たいので小さい魚が多いそうです。6,7月は水温が30℃になり大きな魚が見れるとか。ダカール沖はフィリピンのマニラと同じ緯度ですが、寒流が流れている季節があり、水温が冷たいのです。魚市場ではバラクーダ、メロー、鯛やニシンのようなイワシ(と言っていたので)をよく見かけました。お礼に私の写したダイビングの写真を見せたら感動していたので、海の中はあまりたいしたことがないかもしれません。

水温が18℃ならフード付のダブルスーツならできそうなのですが、今後の旅行のことも考えダイビングはしませんでした。来年?また来ると言って分かれましたが、色々面倒を見てくれました。このバオバブの木は大統領官邸とダイビングショップの途中の道にあります。反対側の絵はアフリカ大陸でした。


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