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フィリピンのこと2、会社への手紙11 [フィリピン]

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パナイ島北東端の村とDT50

「たらばほ」フィリピン隊員機関紙から
”平成6年8月31日(バイクでコケた日)パナイのはじっこの町 カルレスにて”

朝5時30分、朝げの薪で煙が充満している。窓がないため入口のドアはいつも開けている私の部屋に、2人しかいないスタッフの一人が入ってきて「PNVSCA(フィリピンのボランティア受け入れ団体)に再提出するWork and Financial planができたのでサインがほしい」と言ってきた。1ヶ月前、私が原案を2日で仕上げ提出した書類だ。寝ぼけ眼でカウンターパート(相棒)と予算の項目をチェックし、PNVSCA・私との以前の約束とは少し違っていたが早く活動がしたかったのでサインした。

♪♪Good Morning♪♪とCDプレイヤーからの歌を聴く、短パンとTシャツに着替え、インスタントコーヒーの入ったマグカップに湯を注ぎ、バナナと途中でパンを1袋取ってすぐ裏の海辺のコテージで朝食を取る。わたしの部屋への出入りは、裏のパン屋を通らねばならならない。この部屋は日中、オーブンに化けるので、1日の殆どを近所の犬やガキ達と風や波を感じながら過ごす。夕方には日替わりでシャガールのキャンパスが壮大に広がり、カピス(となりの州)の山々と、沖にあるバンカ(小型のボート)が時とともに暗くなっていくコントラストが美しい。

曇り空だったが、井戸場で洗濯をした後、水冷DT50(ヤマハのバイク)のエキゾーストノートを響かし、簡易舗装でまだ2年もたっていないが、所々に穴のあいているUSエイド(アメリカの国際協力事業団)によって作られたハイウェイを走った。カルレスにいた土木技師とマニラで会った時、”隣の町まではきちんと舗装してあるのに…”と質問したら、工場などが出来必要あれば、舗装すると言っていた。この町に必要のあるときは、私が初めて任地訪問をした時のようにホコリだらけの凸凹道に戻っていることだろう。

23Km程の2つ先の町エスタンシアへ例の書類をLBC(宅急便、早い・安全)で出すためである。この町は他に電話、写真、コピー、コンビニ、エアコン付きリゾートがある。エリアガイドや、地球の歩き方に記載されている(現在記載は無い)シコゴン島は、カルレス町だが、エスタンシアが玄関口となる。毎週火曜日のマーケットデーに、シコゴンからのツアーがあると書いてあるが、ディスコ以外に見るものは無い。そもそもツアーを見た事が無い。ビサヤ海でとれた魚はカルレスを通らず、エスタンシアからイロイロ市へ行くので、この町は活気がある。また週1便マニラ行きの船がある。
……が、その途中私は神風となった。通がかりの牧師(カトリックが多いが神父でなかった)が最後まで私の面倒を診てくれた。夕方、本部(マニラ)への電話とLBCを出す為、その晩は彼の教会に泊めてもらい、着替えにもらった赤地にJESUSと書いてあるTシャツを着て協力隊の目的や、フィリピンが2000年に工業国を目指していることを話した。二人とも無理だぞと結論を出した。次の日の朝、彼は、『Thank you for your friendship』と言いバス乗り場まで見送ってくれた。体を張った特攻が気に入ったのか……。

P.S. 今朝、近所の犬Bugtong(一人っ子と言う意味)が150ペソ(400円)で売られ自転車の荷台に縛られて行った。せめてもの供養にキニラオ(マリネ)でも食べようかと思ったが、マニラで1年半の命を絶つとのこと。

             KANUGON!(残念)
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