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スース合宿2 [旅行-チュニジア]

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いちようマラソン合宿なので、翌朝は6時に起きて朝日を見ながら浜辺を3kmほど走りました。雲が無く太陽が水平線から登ったのできれいでした。その後日本食の朝ごはんを食べて、スース市内から8kmほど北にあるポート・エル・カンタウィ(Port el Kantaoui)へ。カンタウィとはアラビア語で港を意味するそうで、日本語にすると港々になるそうです。確かアラブの富豪のリゾートとして作られた街とか。
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ヨットはスースの南にあるモナスティールより豪華なタイプが多かったです。港の両脇から灯台に向って遊歩道があり、先端まで行ってみました。子猫が戯れたりしていて、のどかな1日でした。
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2日間走ったビーチです。サンゴの砂でないですが、砂は細かく砂鉄が少ないのできれいでした。ただ、砂浜なのでジョギングをするにはきつく、軽い筋肉痛になりました。その後スース郊外のバスターミナル近くでラクダ市場があったので見に行きました。以前は動物も売っていたそうですが、今は名前だけのようです。今月もここでマラソン合宿をする予定です。
3月の寒そうなビーチはこちらから。
→ http://gaki.blog.so-net.ne.jp/2007-03-19

マラソン合宿の当初の目的はチュニスの飛行場脇にある埋立地ラック(Lac)でハーフマラソンの大会が5月上旬に開催されるからでした。しかし第4回目の今年は中止か延期になったようで、インフォメーションが出ていません。
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スース合宿1 [旅行-チュニジア]

去年は満開になってから気付いたのですが、昨日通勤途中の道路でジャカランダが咲き始めました。枯れかけた木にいきなり花を付けたので少し以外でした。明日、忘れなければ咲き始めのジャカランダを写してきます。
そうそう、今日はメーデーでお休み。チュニスの北にある大きなスパー、ジアンに行く途中にオービスを見つけました。車が急にスピードを落としているのでネズミ捕りかと思いましたが、チュニジアも進んできました。場所はビゼルト方面へ行く新しくできた鉄橋の降りたところです。鉄橋はアリアナ、バルドー方面の道路と交差しています。ローカルな話ですみません。
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先週末にマラソン合宿と称してスース(Sousse)へ行きました。メンバーはスースで活動しているシニア海外ボランティア(SV)、青年海外協力隊(JV)が2名、パリで服飾の勉強している人と私の計5名でした。私は6:15にアパートを出て8:45にスースのアパートに着きました。途中は早朝なのでまだ寒かったですが、110km地点のコウノトリ村(自称)には夫婦のコウノトリが何羽か見受けられました。この写真はJVの人たちと待ち合わせ場所のスースのメディナの入り口、ファルハット・ハシェド広場です。
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ここはパリから来た学生さんが予約したホテルです。10時前でしたがチェックインができました。料金は共同トイレ、シャワーですが、私的には7DTなので大満足です。結局彼女も他の皆と一緒にスースのSVのアパートに泊まったので、荷物だけ預けたようなものでした。ここは地球の歩き方に書いてある一番安いホテルです。ベット数はシングルから色々あるのでお好きなように。
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ホテルの屋上から見たカスバ(城塞)です。他にリバト(要塞)もあるのですが規模の違いだけでしょうか?よくわかりません。このホテルはメディナの中にあるので景色が一望できました。
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カスバの壁の脇を通っていると窓にいた猫を見つけました。パリから来た学生さんが、窓の鉄格子のデザインがそれぞれ違うので面白いと言っていました。さすが目の付け所が違いますね。
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少し進むと家から子犬が飛び出してきました。日本人を珍しいと思い歓迎したのしたのですね。私の心を穏やかにし、そしてこんな偶然を幸せと感じるのは私だけでしょうか?
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ここはオリーブ博物館です。なんか怪しそうな入り口ですが、個人のお宅を解放して博物館にしているそうです。場所はスース市内ですが?電話局の近くだったかな??JVの人が地球の歩き方に投稿したので、いずれ掲載されるでしょう。
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博物館は中の様子です。伝統的なオリーブオイルの作り方や生活を紹介しています。料金は無料で英語の説明書が用意されていました。いずれスースのSVが日本語版を作ってくれるとか??SVの人は地元の人に聞いてここを知ったと言っていました。
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5階建ての一部の屋上です。おじさんが多分ノアの箱船をテーマにしたアートを作成していました。ここでエクストラ・バージン・オリーブ・オイルとハーブ入り・オリーブオイルの試食をさせてくれます。女性人はお土産にオリーブオイルと海草が入った石鹸や泥パックを買っていました。我々SVは何も買わなかったですが、普段お金を使わないJVも美容には気を使っているようです。

そうそう、マラソン合宿の話も書かなくては・・・。スース観光は午前中で終わりSVのお宅で、昼からチュニスの免税店で買ったハイネケン(350cc)を1本、ウオッカを1杯、ジンを2杯飲みました。1時間くらい休憩して4時からジョギングです。ビーチはチュニジア人、外国人で賑わっていました。トップレスの外国人もいましたが、こちらは砂浜の走りにくさとほろ酔い加減で見ている余裕はありませんでした。10km弱を1時間強で走りましたが、波打ち際を走ったのですが靴は濡れるし障害物競走のようでした。アラビア語のわかるJVによると、冷やかしていたチュニジア人の別のチュニジア人が「そんなことを言うな」と言っていたそうです。真剣さが伝わったのですね。

夕食はSV宅でお蕎麦を食べました。新潟産のふのり入り蕎麦より自然薯入り蕎麦のほうがおいしかったです。その後部屋で皆で踊っていたのですが、物足りずチュニスにないディスコを2軒はしごしました。スースはチュニスと違い観光業が発展しているので楽しい町です。

スース合宿2に続きます。
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テブルバ-オリーブオイル編 [旅行-チュニジア]

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テボルバ市内にある、小規模のオリーブオイル工場です。遺跡ではオリーブオイルの工場跡をよく見るのですが、現在も使われている工場は始めてでした。この地区のオリーブオイルはブレンドをせず、1種類のオリーブ(品種もよいそうです)からオイルを絞るので品質がよいそうです。
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昔ながらの石臼でオリーブを粉砕します。学生時代の先生も言っていましたが、石臼が一番熱を上げずに粉砕できると言っていました。大きな工場はFirst Cold Pressing(一次冷間圧搾)と言って、ステンレス製の機械で温度が40℃以上に上がらないように冷却しています。
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石臼の中です。2個の円形の石がクルクル回ります。日本の石臼と構造が違いますね。シャワルマ(羊肉のサンドイッチ)の中にオリーブが種付きで入っています。間違って種を噛んでも梅干のように硬くないので種が割れます。
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オリーブオイルを絞るのは確か1月頃で終わりです。このネットに粉砕したオリーブを入れるのですが、この時はすでに掃除をして乾燥していました。
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これは一番最初に圧搾するエクストラ・バージン・オイルの圧搾機です。先ほどのネットを何段か重ねるようです。オリーブの種の硬さが、圧搾度合いを微妙に調整しているようです。横には2番目に圧搾する少し大きい圧搾機が並んでいました。
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オリーブオイルの酸度を測る実験器具です。オリーブの実を採って何日も過ぎてから圧搾すると脂肪酸(主にオレイン酸)とグリセリンに分解される量が多くなり酸度が上がります。EUのエクストラ・バージン・オイルの基準は0.8%以下、良質のものは0.3%位だそうです。ただ、チュニジアの製品を見ると1%と書いてあるものもあります。オリーブオイルはオリーブのジュースなのでオリーブの鮮度が大切です。オイルは四角いタイル製の槽にフタをして1年間保存しています。オイルにすれば酸度も進まず一価脂肪酸なので過酸化物価も進まないようです。オリーブの香りは蒸発しそうですが、昔ながらの貯蔵方法だと思うので気にしていないようです。
エクストラ・バージン・オイルが手に入ったら、お皿にスパゲッティを盛ってからお醤油のようにかけてください。オリーブ・オイルの香りがスパゲッティを引き立たせます。エクストラ・バージン・オイルを加熱をすると香りが飛ぶのでダメですよ~。

私たちが去ってから、日本から観光客がバスでオリーブオイル工場へ見学に来ました。結構興味を持たれて帰るえられるようです。
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テブルバ-人・動植物編 [旅行-チュニジア]

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ワイン工場へ入る道にいたお年寄りたち。日光浴をして気持ちよさそうですね。各自の被り物が違うのも面白いですね。もう少し暑くなると、赤いトルコ帽でなく、麦藁帽子になるのかな。
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テボルバから峠を越えたところにある牧場です。馬は障害競走用だそうです。馬車を引く馬と違ってどことなく凛々しいです。水を飲むために集まってきたところですが、よそ者がいて警戒され、蹴られないか少し心配でした。「馬は休ませるときは水を飲ませる」と言う父の言葉を思い出しました。
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電信柱にいるコウノトリはよく見かけるのですが、屋根の上いるコウノトリは初めてです。コウノトリは見通しのよい麦畑を好むようです。
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蜂蜜を採っていた女性職業学校の前にいた子供たちです。こんなところにアジア人が着たので珍しがられたことでしょう。
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車のガラス越しで写したので色がきれいに出なかったですがアーモンドの花です。遠くから見ると若葉が出始めた桜の花と非常に良く似ていました。ほかに杏の花は桃の花のように濃いピンク色でした。
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同乗していたシニアボランティアの香りに詳しい奥様が、面白いにおいがすると言って見つけた花です。カタツムリは花を食べているのかな?そう言えばチュニジアではエスカルゴを見かけない~。食べないのは宗教上の理由でしょうか??

オリーブオイル工場編へ続きます。
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テブルバ-観光編 [旅行-チュニジア]

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テブルバ市長の要請で他のSVとテブルバ(Tebourba)へ観光調査に行ってきました。この写真は市庁舎で概観は派手ですが中はチュニジアの一般的な部屋です。テブルバはチュニスから西へ30kmほど先にあったローマ時代以前からの都市です。
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チュニジアで一番ポピュラーなワイン、マゴンを作っている工場です。確か1888年にワイン工場を創立し1956年までフランス人が管理していたそうです。生産数は確か450万リッターでとか。9月頃の70日間しか稼動していないそうです。ワイン工場の前は水汲み場だったそうです。
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前の写真の2階からブドウ畑を写しました。テブルバではブドウの他にも色々な果物が取れるそうです。工場の中は20年位前の味噌や醤油工場と思ってください。
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テブルバの郊外へ行くと、養蜂の服を着た女性に遭ったので車を止めてみました。
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ここは女性グループの職業訓練校みたいなところで、蜂蜜、食品加工品や洋裁の実習をしていました。地方に行くと素朴そうな人が多いので共感をもてます。
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先生が蜂蜜の取り方を見せてくれました。右手に持っているのは蜜蝋と言って甘いそうです。そうそう、干物を作っているシニアボランティアの方が言っていましたが、チュニジアの蜂は獰猛でプラスチック製のネットを食いちぎるそうです。
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ここはチュブルボ・ミニュス(Thuburbo Minus)で前回のチュブルボ・マジュスより古い遺跡があるそうです。発掘作業が進んでおらず石がゴロゴロしているだけです。この谷がアフリカの発祥に地と言っていましたが、この頃のアフリカ属州の首都はウティカなのです。ネットで調べてもアフリカの語源が分かりません。
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この岩にはフェニキア人の墓が10個位あるそうです。近くまで行ってみたい気持ちもありましたが、足元が悪くあきらめました。チュニジア北部一帯は穀物の産地でローマ時代は食料庫となっていたそうです。

人、動植物編へ続きます。

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チュブルボ・マジュス [旅行-チュニジア]

チュニジアは昨日から連休です。この日帰り旅行から一ヶ月も過ぎたので色々忘れています。
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マクサルからの帰り道にチュブルボ・マジュス(Thuburbo Majus)によりました。ここはチュニスやザグアンの水の神殿からも近いところです。入場料と4DTと撮影料1DTを払って中へ入るとキャピトルの後ろ側が目に入ります。手前の遺跡はオリーブオイル工場でオリーブを粉砕する丸い石臼があります。臼の横にあるオリーブオイル槽が食用、少し離れた槽は体に塗るオリーブオイルだそうです。
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フォルムの正面辺りから夏浴場を見た写真です。冬浴場もありこちらは屋根付きだったそうです。ローマ時代は社交の場だったらしくどこの遺跡の浴場も大きく立派です。そして男性のシンボルが入り口の目印の売春宿も併設されていたそうです。
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中央にある水槽は動物用のもので、手前にある穴に紐を通して逃げないようにしていたそうです。この近くにはスペインから持ってきた大理石がありました。
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夕日に照らされたペトロー二のパラエストラです。ペトローニと言う人の名前が石に刻まれており、格闘施設だったようです。
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柱の一本には蛇が刻まれており病院があったとガイドが言っていましたが、部屋も小さく格闘技で怪我をした人の治療室の感じです。ローマ時代の柱のデザインは花(確かバラ)と言っていました。
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フェニキア文字でローマ文字の原型だそうです。この石は子供たちが文字遊びをするのに使われたそうです。この石も格闘技センターの床に使われていました。
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これは大理石が貼り付けられていた跡です。茶色い青銅の周りの白は石灰だそうです。大理石は高価だったのですね。青銅を調べたら日本でも紀元前1世紀頃生産されていたそうです。
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この矢印はローマ人住居の入り口です。当時のローマ人は小さかったらしく、私が中を通るのもぎりぎりでした。比較するものがないので大きさがイメージでき憎いのが残念です。

今回のガイドには10DT請求されました。一時間半くらい一緒だったのですが、いい商売です。
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マクサル [旅行-チュニジア]

ザマの旅行の続きです。
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ザマからシリアナ(Siliana)へ一旦戻り、国道4号線でさらに西へ進むと、マクサル(Makthar)があります。遺跡はローマ時代のものと思いますが、ヌミディア王国が築いた町です。博物館に隣接しているチケット売り場で入場料4DTとカメラ代1DTを払って中へ進むと、最初に円形闘技場の横を通ります。北側の壁は綺麗だったので修復したと思われます。
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ファーラムへ向かうローマ時代の道を通ると一面毛虫の大群と遭遇します。毛虫を避けて歩くのが大変で、この遺跡のどこにでもいました。ガイドの人に聞くと、雨が降らないから毛虫が出るといっていました。毛虫に食べられて枝だけになった草もありました。虫嫌いでない人も、靴を履いて裾が地面より離れているズボンを着るのがお勧めです。
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フォーラムから覗くトラヤヌスの凱旋門と左奥の建物は共同大浴場です。門の裏にはビサンチンの教会もありました。
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共同浴場ではモザイクの修復なのか、3cm位の金属棒の入ったセメント板がたて掛けてありました。以前聞いた話では、バルドー美術館に移す時はモザイクを数十センチ四方に剥がして、別の場所にまた貼り付けるといっていました。
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共同浴場から西へ進むと、ヌミディア人の墓があります。地球の歩き方でキリスト教徒の墓地となっているのもヌミディア人の墓だそうです。屋根は貝でできた堆積岩になっており、確かスースから持ってきたと言っていました。
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墓地から北へ少し戻るとスコラ(若者の学校)が有ります。この辺りには穀物倉庫など他の建物もありました。スコラと聞くと学生時代に読んだ雑誌の名前なので記憶していたけど、まだ発行しているのかな?最近はインターネットばかりで雑誌は読まなくなりました。まあ、チュニジアにいたら読めないけど・・・。
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往路のときにエル・ファハス(El Fahas)の近くで発見したコウノトリの夫婦が、帰路もいたので写しました。雛がいて子育てでもしているのでしょうか?わざと金網が張られており巣が作りやすくなっている鉄塔があります。こちらの人もコウノトリに関心があるようです。

この旅はさらに一編続きます。
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ザマの戦い [旅行-チュニジア]

ネタは色々あるのですが、少し忙しくてアップができませんでした。
今回の日帰り旅行は運転手のシニアボランティア、アラビア語+フランス語通訳の青年海外協力隊とナビの私3名で行きました。
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地図を見ながら国道3号線を西へ下ります。途中警備の警官に止められ、どこへ行くのか聞かれたので’ザマ(Zama)'と言ったのですが、地名が分からないらしく(チュニジアの人はほとんど興味がないでしょう)地図を見せたら’ジャマ’と言われ理解してもらいました。確かに地図にはZamaの下にJamaと書いてあります。警察に一回止められたので、私たちの行動は恐らく無線でその先の警察にも伝えられ3時間半でザマらしきところに着きました。google map をコピーして持ってきたのですがよく分からないので、地元の人や、小学校の先生に聞いたりして青年海外協力隊の方の大活躍でした。後でgoogle map で調べたらAl Jamahと書かれていました。遺跡の位置は北緯36°06'42、東経9°17'07です。
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恐らくここがザマの戦いの戦場跡です。ザマの戦いとは紀元前202年にローマ軍を率いるスキピオがカルタゴ軍を率いるハンニバルがを破り第二ポエニ戦争を終わりに導いた地です。どちらも戦上手で有名な将軍です。土地は起伏に富んでおりカルタゴ軍のゾウ部隊が戦えたのかなと思いましたが、2200年の歳月で土地が侵食したのではとシニアボランティアの方が言っていました。
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ほとんどの人が知らないと思いますが、ザマの村では遺跡の発掘をしていました。ローマ時代のものでイタリア人が発掘調査をしているそうです。中に入って遺跡の修復を見せてもらったのですが、撮影禁止なので逆光の遠景からだけです。修復後はチュニジアのガイドブックに載るのかな?ここは水が出るし眺めも一望できるので、ハンニバルが陣地を置いたのも理解できます。
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ビゼルト-レストラン編 [旅行-チュニジア]


バスのドライバーが港にある船のレストランは高いので、ハビブ・ブルキバ通り沿いのレストランが安いといっていました。しかし、さすがは青年海外協力隊。地元の人に聞いて行ったレストランがここ。多分通りはアルジェリア通り(Ave. d'Algerie)です。

しかし、メニューはアラビア語。色々言っていたら厨房の中を見せて料理を説明してくれました。食べたのは黒鯛の塩焼き、スズキのクスクス、イカのトマトソース煮。サラダとオレンジはサービスでした。チュニスなら一人15~20DTと思いますが、ここはなんと5DTでした。12時30分頃はガラガラでしたが、13時になると満席でした。地元の人は安くて美味しい店を知っているのですね。

ビゼルトノ帰りは可動橋を渡りました。この可動橋は5時と15時に橋が上がり船が通るそうです。東京の勝鬨橋のように固定されないことを祈っています。そして、バスの中ではシニアボランティアの奥様の腹話術を見せてもらい、高速道路を制限速度110Kmで走って40分位でチュニスに戻りました。あ、腹話術人形のリンゴちゃんを写すのを忘れました。


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ビゼルト-市内編 [旅行-チュニジア]


疑惑のブラン岬から5分位でビゼルト(Bizerte)に戻りました。どうも、チュニス方面と反対側から市内に入ったようです。私は行ったことがないですが、ヴェネチアに似ているそうです。多分こんな風景でしょう。水があるのでチュニジアの他の都市とはイメージが違います。

カスバの城壁に沿って歩くと、港の中で貝をとっている人が数名いました。カメラを向けたら採るのをやめて、ポーズをとってくれました。貝は良く見えなかったですが赤貝のようで、ペットボトルに1/4位入っていました。

城壁の最後に上へ登れる階段があり、0.5DTなので上がってみました。景色はGoodとは言えませんが、城壁内の普通の家が見れました。家はロの字型になっており、太陽の位置とともに部屋を替わるとバルドー美術館のガイドが言っていた事を思い出しました。でもね、上から家の中を見られるのはあまりいい気分でないですよね。ここはカフェになっており、地元の人達のデートスポットとなっていました。そうそう、女性の人達は子供料金のチケットを渡され、差額は受付の人の臨時収入になったようです。

城壁の反対側の岸は日が射さないので薄暗いのですが、生活観が感じられました。この写真は明るく補正してあります。奥で日向ぼっこしているおばあさんは気持ちがよさそうで、羨ましかったです。

玄関から子供が凧を持って走っていったので、小路まで入って写した写真です。チュニジアの凧はこんな感じなのですね。よく飛ぶのかな??遊んでいる姿を写したかったのですが、年上の子供がこちらを向かせてくれてポーズをとった写真です。


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