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ローマ-街道編 [旅行-イタリア]

1ヵ月前のローマの1日の続きを書き込みます。
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ハンニバルの足跡を追って新しい城壁も見てきました。ここはアッピア街道のサン・セバスティアーノ門です。この上に城壁博物館があるそうです。この新しい城壁はアウレリアヌスの城壁といわれ18ある門で最大だそうです。
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サン・セバスティアーノ門の直ぐ内側にドルルーゾ門があります。カラカラ浴場へ水を運ぶ高架橋だったそうです。普段は静かな道と思いますが、ここら辺を歩いていたら黒塗りの車が何台もサイレンを鳴らして走っていたので興ざめしてしまいました。
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アッピア街道沿いにある水道です。ローマ市内にはどこでも水道が流れているので喉を潤すのに助かりました。旧市街の方は少し鉄くさいと感じましたが、アッピア街道沿いの水は美味しかったです。ランニングやサイクリングをしている人も立ち止まって水を飲んでいました。
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サん・セバスティアーノ門を出ると最初のマイルストーンがあります。アッピア街道を探しながら行ったのですが、チリチア通りまで行ってしまい引き返して見つけました。これは昔からあるマイルストーンのようです。
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ここはFAO(国際連合食糧農業機関)です。思っていたより古い建物でした。ローマ時代の1マイルは1.6kmでなくて1.4km位だったそうです。上の最初のマイルストーンから計算するとアッピア街道の基点はFAOの石柱からから200m戻ることになります。
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ここはラティーナ街道とアウレリアヌスの城壁が交わるラティーナ門です。ハンニバルの時代この門はまだできていないので、彼は見ていないです。門の外は住宅地になっておりアッピア街道のような趣がありませんでした。
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ノーメンターナ街道とアウレリアヌスの城壁が交わるピア門です。ミケランジェロの最後の建築の仕事となったそうなので、当然ハンニバルは見ていません。ハンニバルはこの門の辺りから帰ったと思われます。門の内部には歩兵部隊歴史博物館があるそうです。デモね、第二次世界大戦中のイタリア軍はすごく弱くて、ドイツ軍が尻拭いをして北アフリカ戦線に進軍しなければいけなくなりました。もし日独伊三国同盟が無ければドイツはロシア戦線に集中でき、ロシアはシベリアに兵を送る余裕は無かったはずです。

ローマ-休日編へ続く
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