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東欧の旅-スタラザゴラ [旅行-ブルガリア]

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友人の住んでいるスタラザゴラはブルガリアの中央にあって、人口が5番目の年だそうです。西の首都ソフィアと東の黒海のブルガスまでそれぞれ200km位です。ブルガリアで2つしかないトラキア大学や軍の空港もあります。この写真は市役所に飾られたクリスマスのイルミネーションです。スラタとはブルガリア語で古いを意味し、新しいザゴラと言う意味の街もあります。私は友人宅に宿泊する届けを出しに警察に行ったら、他のブルガリア人が日本のパスポートを持って同じく届出をしていました。私は彼女から届出を記入してもらいラッキーでした。ホテル以外に宿泊する時は入国48時間以内に届出が必要です。銀行では国際キャッシュカードで難なくレバ(LV)を引き出せました。ブルガリアのお金の単位は単数と複数で語尾が違い、レバはどっちだったかな?
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ここは市役所横の公園で1877年にトルコ軍によって焼き尽くされた記念碑だそうです。1378年にもトルコ軍によって焼き尽くされたそうです。街にはロシア、チェコ、ルーマニア、ドイツ、フランス、スペイン、イタリア、アメリカ、韓国と日本製の車を見かけ今でも文明の十字路だと感じました。隣には1877年以降最初に建物が造られた記念の石が埋められていました。
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ローマ時代の街と劇場の遺跡もありました。ブルガリア語で書かれた数字を見るとたしか2~3世紀と書いてありました。マイナス8℃位で寒く直ぐに喫茶店に行ったので、壁により他の時代の遺跡もあるようですがどれがどれだか分かりませんでした。そうそう、喫茶店でミルクの上にネスカフェやココアをかけて出すメニューがあります。コーヒー豆を使うのはエスプレッソ、チュニジアより美味しかったです。
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トルコの寺院と言っていましたがモスクですね。モスクにはイスラム教のシンボル、月と星が飾ってあったそうですが壊されたそうです。私に詳細を説明してくれましたが、書き込みは止めておきます。ニューヨークのモスクにも無かったので破壊されたのかな??ブルガリアにはスラブ系、トルコ、ロマ(ジプシー)の人たちがいますが仲が悪いようです。友人の友人がスイスに訪れた時、入国管理官にどうして色が黒くないか聞かれたそうです。社会主義時代はロマの人たちと居住区を分けていたそうですが、今は自由になり生活の違いで摩擦があるようです。
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友人の奥さんの祖母が死んだので、お悔やみにバラの花を2本買っていました。それから我々は別行動で彼女だけ葬式に行き、お返しにビーニール袋に入ったジュースやお菓子をもらっていました。後ろの教会とは違いますが1877年のトルコが侵略した時に、スタラザゴラ市民2,500名が教会内で虐殺され2名の少女だけが生き残ったそうです。別の場所には遺骨を集めた墓地もあります。この教会の中に入ったのですがブルガリア正教のためかクリスマスの名残はなく厳かなものでした。
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ここはスタラザゴラ郊外の丘の上にある1877年の露土戦争のモニュメントです。ブルガリア人はモニュメントが好きらしく山の上に聳え立つ巨大建設物をよく見ます。今は教会で結婚式をするそうですが、社会主義時代は市役所に届けてから階段の下にに花を飾ったそうです。そして、反対側の林で記念写真を撮ったと言っていました。
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街の中で感心したのは信号にタイマー表示があることです。何秒で切り替わるか分かるとイライラしなくてもいいですよね。ここはスタラザゴラに新しくできたPARK MALLの近くです。モールは大きく置いてある品物も悪くありませんでした。
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先ほどのモニュメントと反対側にあるトラキア大学裏のトラキア時代の墳墓です。バラの谷で有名なカザンラクだけでなくブルガリアの広範囲に墳墓があります。

シプカ編へ続く
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