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高校生国際協力体験視察の旅8 [フィリピン]

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ホームステイ先の子どもたちと

心の輪 J.H(燕市) 

国際協力と聞くと、私は皆で手をつなぎ、一つの輪をつくるというイメージを持つ。そんな私は、今年の春休みに青年海外協力隊の人達や高校生の仲間と一緒にフィリピンへ行ってきた。
私はほとんど英語が話せないままフィリピンへ行った。もちろんタガログ語なんてとんでもなかった。そんな私の所へ目を輝かせながら子供たちが近寄ってきて、一生懸命に問いかける。私が何を聞いているかわからず困っていると、子供たちにその場の雰囲気が伝わってしまい、子供たちは淋しそうな目をする。私はそんな子供たちの目を見るのが一番つらいかった。自分の大好きな人と会話ができないことがこんなにも苦しいものだとは思わなかった。この時、私は自分の勉強不足を痛感した。
ホームステイ先では、毎日子供たちと遊んでいた。私はフィリピンの子供たちに、日本の遊びを教えようと思い、「お寺のおしょうさん」の手遊びを教えた。子供たちは目を輝かせ、私の手をじっと見つめている。何度かくりかえしていると、子供たちも歌を口ずさみ、どんどん覚えてきた。私は子供たちの覚えの速さに驚いた。覚えたとたん、みんなからくすぐられ、子供たちは飛びはねながら体をけねらせていた。こんな風に楽しさや喜びをおもいっきり表現しているこどもたちは、私にとって愛らしい人でもあり、うらやましい人でもあった。
ホームステイ先の隣の家のおじさんが私に、昔のフィリピンと日本の話しをしてくださった。日本兵は何度もフィリピンの人々に頭をさげさせたこと。そして男女年齢問わずころしていったこと。殺された人の中には妊婦もいて、お腹にいる赤ちゃんと一緒に刺し殺されたこと。私は申し訳ない気持ちで一杯になり、ただずっと下を向いていた。しかし、そのおじさんは「今はフィリピンと日本は友達」と言ってくださった。その言葉を聞いたとき、私の心は温かくなった。
ホームステイの最後の別れの日の朝、私はホストファミリィーを見たとたんに涙がこぼれ落ちてきた。たった短い二日間だったかも知れないが、私にとっては、ずっと一緒にいた家族のようだったから。
私はせめて子供たちの前では泣かないようにと決めていた。私が車に乗ったとき、子供たちはニコニコしながら私をじっと見つめていた。その子供たちの中には私が日本へ帰ることを知らずに、またすぐ帰ってくると信じている子供もいる。そんなことを考えたら、また悲しくなった。一人の子が私の涙に気づいた。そうしたらその子は急に淋しそうな目をして唇をかんだ。私は今でもその子の顔を忘れられない。
フィリピンの小学校で交流会をした時のこと。その交流会では、生徒から先生まで学年別にいろんな歌やダンスを見せていただいた。どの学年の先生方も一生懸命私達のために演奏してくれる気持ちが伝わってきた。お礼に私達も日本の歌を歌った。最後の曲では、生徒や先生方もイスから立ち上がり、私達と一緒になって歌いなが大きな円をつくっておどった。私はすごく感動した。それは、お互いの国や年齢も違う男女が手をつなぎ、笑顔え歌ったりおどったりしている姿は、私の考える国際交流のイメージそのものだったからだ。
フィリピンでの一週間は、私を大きく変えた。自分がこんなにも多くの人を好きになれるとは思っても見なかった。
これからもたくさんの人達との出会いを大切にし、私の国際協力の輪を広げたいと強く思った。
最後に、フィリピンの子供たちの目はとてもキレイで輝いていた。

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