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中欧の旅-プラハまで移動編 [旅行-チェコ]

ラマダン明けの10月1日、チュニジアでお世話になった調整員の人たちと車で送ってくれたSVに見送られ、帰路変更で日本に向かいました。祝日の朝早くから見送りをしていただきありがとうございました。新しいボランティアはだめですが、2007年7月までに赴任したボランティアは帰国時に帰路変更が認められています。
破産で運行が心配されたアリタリア航空のAZ867便で6:00でギリシャ経由で帰る同期SVとチュニスを発ち、ローマに7:30着。フィリピンの時と違いチュニジアに後ろ髪を引かれる思いも無く、帰路変更の旅に胸を躍らせていました。ローマの空港でエジプトから来た日本人の女性に声を掛けられました。3ヶ月旅をしていたそうで、これからハンガリーのブタベスト経由でクロアチアのザグレブによって荷物を引き取り日本のに帰るとのこと。私は同期のSVも別れ、ローマから9:00発のAZ188便に乗りウィーンへ10:40に着きました。確か空港を11:05発のプラハ行きのバスは確か23ユーロでで行けるのですが時間が合いません。ウィーン空港の隅にあった荷物預かり所にスーツケースを預け、バスでウィーン南駅まで6ユーロ30分位で着きました。
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ウィーン南駅を13:10発の特急電車(56.2ユーロ)で発ち、チェコの首都プラハに17:32着。プラハに向かう途中何人も私の席だと言ってきた人が・・・。指定席の番号と列車の番号が同じだったので勘違いする人が多かったです。そして気付いたのですが、この電車は私の思っていた駅と違う郊外にに着くのです。終点に近づくとドボルザークの我が祖国が電車の中で流れました。新潟駅に着く前に新幹線で佐渡おけさが流れるのと趣が違います。駅で国際キャッシュカードでおチェココルナ(KC)を引き出し、地下鉄の駅を探していたらホテルを探していないかと英語で声を掛けられました。私は地下鉄の駅を聞いて、ホテル近くまで切符を買いました。行き先を行ったら最低料金の切符18KCでした。この切符は5駅先まで30分以内に行けるものでした。プラハ市内なら最低料金で行けますが、改札口の刻印を忘れないように。
プラハはすっかり暗くなり地下鉄の駅を出たらネオンが輝いていて思っていたより大きな街かなと思いました。あとで分かったのですがこの道はプラハの春やビロード革命の舞台になった道なのです。無事にホテルにチェックイン後、途中見つけた中華レストランへ。店の前の看板に安いメニューがあるのですが、お店の中の英語メニューは安いのが無い。よく見ると後ろのページにチェコ語と漢字で書いてあります。看板は記号があるので写真を見て決めたら記号を言えばいいと思います。私は麻婆豆腐のようなのとビール、そして美味しかったのでビーフンも頼んで180KC位でした。ちなみにビックマックセットは確か140KC位です。
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翌朝、スロバキアまで行く切符を買いにバスターミナルへ。乗車時間が短いバスは満席とのことで、少し早いバスのチケットを420KCで購入。このバスは私の友人が住んでいるプリエビッザが終点のバスでした。この写真はバスターミナルから地下鉄の駅に行く方向です。赤い屋根の建物沿いに行けば直ぐに地下鉄にいけます。地下鉄からの出口は花屋さんの横の階段を上がるとよいです。

プラハ観光編へ続く
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