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会社への手紙7 [フィリピン]

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イロイロ市の祭りディナギアン

続きでお正月
1994-02-03

今日は節分、こちらではピーナッツのことを「Mani」と言います。日本語のマメとよくにています。しかしピーナッツは煮てあるのでグチャグチャしおいしくありません。
1月はこれといった活動もせず、これからの活動計画を作ったりHigh Schoolの図書館へ行って調べものをしていました。1月22日はイロイロ市で行われたディナギアンの祭り、
これはSto.Nino=幼きイエスの祭りで全身にペイントをし鳥ににたような服を着てパレードをします。朝の7時からお昼頃までうろうろ歩き回っていたので時間は早く過た気がしまた。今、フィリピンではガソリン代がP10.15→P11.65(イロイロ)に値上りをし、マニラやミンダナオではストライキが多いそうです。イロイロではバス会社がストをしているそうですが、生活には影響がありません。しかし、Nata de cocoで私の上司が大金を必要とし、私の食事代(すでに支払い済み)まで使い込むので、お金がお手伝いさんに渡らず毎食ご飯に魚一匹の生活をしていました。近所の人々は逆に私に対して哀れみを感じ"Nalouy kami sa imo. Pero, walan kuaruta."「私たちはあなたを哀れと思っている。しかし、お金が無い」と。私はまあそれでも良いのですが、お手伝いさんが神経質になり、少しこまったので二重払いをした後で精算するつもりです。

今回は前回の続きでお正月について書きます。
昨年の12月27日から1月3日まで台風のおかげで8日間も停電があり、毎晩ケロシン(灯油)ランプの生活でした。キャンドルライトがロマンチックなのは電気のある世界だけ、でも冷たい水が飲めない位(冷蔵庫の中には水とワクチンくらいしか常時入っていない)で特別不便だと感ずることもありませんでした。
大晦日はラム酒(340ml P15~17 70円弱)を近所の人と飲みRadio Japanから流れる紅白歌合戦を聞いていましたが、受信状態が悪くほとんど理解することはできませんでした。
フィリピン時間11:00PM(日本時間12:00AM)偶然中波バンドから「君が代」が流れ「日本は一足先に新年だな」と思っていました。12時になるとバイクや車が空き缶などを付け町の回りを20分位廻り爆竹をならすので、日本の除夜の鐘がなるおごさかなお正月とは大違いです。もっともヨーロッパも爆竹をならすようですが。
元日はラム酒の飲み過ぎで悪酔いし一日中ぐったり。現地の人は教会へミサに行ってました。
2日は私の任地で日本人の結婚式があると聞いたので教会へ見物に行きました。相手は任地の島から日本へ行ったジャパ行きさん。彼女はパスポートをプロモーターに取られ、スナックもすぐにつぶれたとかで苦労したみたいです。しかし、家族の生活レベルは向上しています。家を買ったり船を買ったり、別のジャパ行きさんは移動デスコセット「アンプ、スピーカー、イコライザー、プレイヤー等」を買いレンタルで商売しています。祭りごとの有るときは一日中音楽がなりっぱなしですが、これが任地の人のステイタスでもあるみたいです。
日本人は前科6犯、先妻とは20年位前に別れ、子供を引き取りその子供が結婚したので彼女と結婚したそうです。「フィリピンでけんかをしたら命が無いのでけんかはしないで下さい」と言っておきました。さすがに財布の紐は奥さんが握っており、旦那は言われるままになっていました。日本とは金銭感覚が違うから、そちらのほうがベターですが。また、食べ物があわないらしく、ビールもぬるいので(電気の無い島)、ほとんど食事をしなく奥さんは困っていました。でも、旦那は私の任期中にまたフィリピンに来るといっていました。今度来る時はふりかけや日本食をいっぱい持ってくることでしょう。

ではお元気で、次回号をお楽しみに!!
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