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MAP OF PANAY 3 [フィリピン]

Carles
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マーケット (Poblacion)
小さな魚と野菜の市場です。私は魚、エビやバナナを買っていました。写真の一山で10ペソ(40円位)でした。21年後のマーケットは屋根が付き、テーブルはタイル張りになっていました。

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私の活動 (Barosbos)
バイクが貸与されたので本島の14のバランガイ(部落)をデモ巡回した。漁民や農民でもできるよう小魚類の利用を目的として、製法が簡単で小規模の生産に向き機械設備を必要としなく、ある程度の貯蔵に耐えられ試作の段階で地域住民の嗜好に合ったものを考え、佃煮としょう油干しを選んだ。器具はフライパン・コップ・スプーンと包丁の代りのナイフ、熱源はヤシの髄か実。原料に使う魚やエビは私が毎日市場へ買いに行くことにした。

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パナイ島の北東端 (Punta)
カルレスの端のプンタは上水や井戸が無く、水運びが必要でした。台風のときはココナッツミートだけを食べていたそうです。10年後のプンタに水産加工場ができていましたが、21年後には台風の影響か基礎だけが残っていました。地形も変わり、家はニッパヤシからブロック塀の家になっていました。

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小学校 (Poblacion)
JICAが1990年頃に寄贈した校舎です。ですから私がカルレスに赴任した時はすでにJICAをよく知っていました。10年後は存在していましたが、21年後はこれも台風の影響か基礎だけが残っていました。プレハブ校舎なのでよく持った方かな。

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私の幼い友達 (Poblacion)
引き潮のときは浜辺で彼らと遊びました。写真の右側のハットの後ろに私の部屋がありました。私はいつもこのハットから海に沈む夕日を見ていました。10年後に行ったときは簡単に海に出られなくなっていました。この写真は古き良き時代を思い出します。

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San Roque (Poblacion)
乾期の終わりの雨乞いの様子です。サンロケは成人の名前で神輿を担ぎ、歌いながら各家を巡回して寄付を受け取っていました。数年後にJICAの研修で日本に来たこの名前のフィリピン人と会い、直ぐに名前を覚えました。そして今度はフィジーで彼と再開。この名前に縁があるようです。
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