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会社への手紙5 [フィリピン]

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マニラ湾の朝

食品展示会
1993-12-04

いよいよ今年も最後の月となりました。今年の売上成績はどうだったのでしょうか?こちらではNata de cocoが前々回のレポートに書いたとおりバカ売れ(この地域にしては)でCarles町とIloilo市では屋根だけのガレージで蚊と風雨にさらされながら寝ています。「乾期は終わりかな」と前々回書いたのですが、また台風などが来て近頃は寒くないけど新潟の空と同じ曇り空です。

さて、今回は先月マニラで食品展示会があったのでその出来事について書きます。

11/10 JICA専門家のお宅(イロイロ市郊外、月に$1,500です。ちなみに私は食事付きで月$70です。)からパジェロに乗って空港へ(フィリピンのJICA公用車はパジェロが多い)。すかさずポーターが来たが荷物は1個なのでそのまま空港の中へ。空港の外に配属先のジプニー(車)があたので何か変だなと思ったら、いきなりドライバーのガマが声をかけ「このダンボール5箱を持っていって」とたのまれ、それから先の不安が有ったがまあ、引き受けた。飛行機で1時間弱でマニラへ、いつもならバスに乗ってP2.5でマカティ(マニラの新宿)のドミトリー(協力隊の宿舎)へまで行けるのだが荷物は合計6個、私一人では無理。ポーター料金が6個×P3=P18.飛行場のタクシー乗り場はぼられるので外の道路まで、チップP5.タクシーはすぐにつかまったが乗ったらメーターが壊れている。そこで値段交渉、私はP50で十分なのでその値を云ったがタクシーの運転手はP180と云った。値引きしてP150と(フィリピンではタクシーに乗るときは運転席の隣に座ってください。そのほうが安全です。イロイロ市では逆にドライバーの安全の為、運転席の周りは金網になっています。)。頭に来たので200m位で降りました。お金はもちろん払いません、ドライバーもプライドがありますから。先輩隊員はそれを利用して目的地の近くまで行き、降りるなど離れ業する人もいるそうですが。2台目のタクシーもすぐにつかまりました。私はP50で十分だと云ったのですが、P70と。荷物も有ったのでそれで乗りました。目的地はPhilippin Trad Training Center。良くわからないみたいなので通りの名前を云い、運転手は「俺は正直でP70はかかる」といちようメーターも倒してくれました。しかしタクシーはPTTCを通り過ぎ、運転手は「PTTCはどこ」と聞いている。お店の人は「知らない」と。しょうがないので通りの名前を云いどっちの方向か聞いたら、行き過ぎていた。PTTCに着いたらメーターはP55、それにエアコン車はP12.5をプラスするのでP70弱。確かに運転手の云っている通りだった(?)。

PTTCに着いたが出店がいっぱい有り何処かわからない。仕方が無いので受け付けに行き話しをしたが、変な外国人と思ったらしく話しが通じない。IDカード(身分証明書)はあるかと聞かれたのでJICAのIDを見せたら対応が変わった。このPTTCはあとで解ったのだがJICAが作ったのであった。そんなことがありもう11時になった。11時からはJICA職員と打合せが有ったのですが1時間遅れで12時から打合せ(食品加工の講義をJICA専門家の依頼でする)をした。
次の日から私が時々一人で店番をしていた。フィリピン人からはタガログ語で話されるので英語でと、日本人に話しかけると「日本語が上手ですね。」と云われるので、だんだん現地化してきているようです。展示物は、コヒー豆・ココア(チョコレート)・果実(ドリアン・バナナ等)・ラーメン・ハチ蜜・キノコ・お菓子・Nata de coco 等で凄いと思ったのは有りませんでした。おやつに色々食べることができたのが幸いでしたが。

とまだ色々有ったのですが帰りのマニラ空港の手荷物検査で「中国人」かと聞かれ「日本人」と。そしたら日本語で「英語は話せる」と、”Yes, and Ilongo(現地語)”と答えたらチェックが厳しくなった。「ポケットの中を見せろ」と云ったので見せ、その中にJICAのIDが有ったのでそれを見せたら納得してもらった。待合室に行ったら偶然他の協力隊が、両親と一緒にフィリピン旅行に行くとの事だった。「手荷物検査で引き止められた?」と聞いたら「そんなことは無かった」と。一般の旅行者らしくするのが良いみたいです。そしてイロイロ市からカルレス町行きのバスの中で、物売りの女の子が「カリボ(リゾートの有るボラカイ島の乗り換え地)行きは別のバスだ」と云っている。この時は大きいバックパックを背負っていたので外国人とわかったのでしょう。バスの車掌は私のことを知っていたので、確認したらこれで良いと。

話しは前後しますが、PTTCで私は、サングラスをかけDパックを肩に掛けながら入ろうとしたら、ガードマンに「Dパックは置いて行け」と。あとでサングラスから普通のメガネに替えカメラを取りに行ったら「Dパックは持っていって良い」と。ガードマンは多分フィリピン人の万引と間違えたらしい。フィリピン人が観る日本人の特徴は切れ長の目である。私はわざと指で目を引っ張り”Happon(日本人)”と云って遊んでます。言葉は英語も現地語もまだ十分ではありませんが、地元の町内会へ佃煮のデモをやるのも一人でなんとかやったりし、だんだん現地化しているようです。

では皆さんよいお年を!!

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