SSブログ

高校生国際協力体験視察の旅3 [フィリピン]

st1.jpg
ブラオン小学校の児童たちと

僕のフィリピン体験 Y.I(新潟市)

僕が「第三回新潟県高校生国際協力体験視察の旅」のメンバーの一員としてフィリピンを訪れたのは、1998年の3月のことだった。1週間という短い期間ではあったが、僕は非常に有意義で、濃密な時間をすごせた、と思う。ピナツボ火山が噴火したことで生じた、莫大な量の土石流、その土石流の流れを止めて制御するためのメガダイク。計画的な家畜生産のために、農村で行われている家畜の人工授精。それらの、JICAやJOCVの方の、現地での活動の視察や、わずかな二日間ではあったが、直接、交流することができたホームステイ。思い返してみただけでも、日本では決してすることができない、貴重な体験であったように思える。
特に、ホームステイは自らの力で会話を行い、理解することに努められたし、ホームステイを通じて、ホストファミリーや近所の人達とも英語で交流をおこなえたからである。
もちろん滞在中に、日本とフィリピンとの生活や環境の違いに驚いたことは何度もあった。ポンプを使って水を汲んだり、日常茶飯事となっている停電など、読み上げると、きりがないほどである。
だが、その中でも一番驚かされ、また、はっとさせられたことがあった。それは、フィリピンの小学校を訪れたときのこと、彼らと話したり、遊んだりする機会を得られたのだが、とにかく笑顔がすごい。日本の子供たちと違って、眩しいほどであった。日本でも話には聞いていたのだが、実際に彼らに会ってみると、それが実感できた。元気そうな子も、一見おとなしそうに見える子も、皆一様に楽しそうに笑うのである。
僕は、最初、子供だけがよく笑う、と思っていた。それほど、小学校での体験は強烈に、僕の心に残っていた。
しかし、それは違う。今、思い返してみると、子供だけでなく、大人も楽しそうに笑っていることが多かった気がする。ホームステイのときを例にとっても、ホームステイの母親や、近所の大人たちでなく、友人の友人の家族や、町ですれ違った知らない人まで、親しげに、声をかけてくれたのである。
最初は知らない人に声をかけられて、「日本人らしく」戸惑っていたが、フィリピンの習慣に慣れてくると、知らない人とも笑顔で挨拶を交わせるようになった。多くの事に、最初は戸惑い、驚いた。しかし旅も終わりに近づいてくると、「日本にかえりたくないな」という念が強まってきた。フィリピンの人達の笑顔に、僕は知らず知らずのうちに、魅せられていたのかもしれない。
最後になったが、僕はこのフィリピンでの体験を、忘れず、活用していきたいと思う。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感